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『Wellbeing』に注目が集まっている時代に『Occupation』について改めて見つめてみる。『Occupational Wellbeing(OW)』

皆さんこんにちは。

宙唄です。

諸々、日々の良しなし毎を「note」しています。

母なる海と太陽と風を感じる宮古島諸島は、地球生命そのものと繋がりを結ぶ体験の刻として、私にいろいろな気づきを与えてくれています。

そんな私ですが、

「Occupational Therapist」

という「Occupation」を持っています。

皆さんは、人間の役割や生きる意味(Occupation)についてどう答えますか?


可算名詞
a
職業業務 《★【類語】 occupation は規則的に従事し,そのための訓練受けた職業; profession弁護士医師教師などのように専門的要する職業; business実業商業関係の営利を目的とする職業; job職業を意味する最も一般的な》.
Farming is a good occupation. 農業りっぱな職業だ.

b
(楽しみまたは日常生活の一部としての)時間のやし気晴らし従業.
Knitting is my favorite occupation. 編み物をすることが私の好きな時間の過ごし方だ.

2
a
不可算名詞 (土地・家屋などの)占有居住; (地位などの)保有.
No one is yet in occupation of the house. その家にはまだだれもんでいない.

b
可算名詞 占有[在職]期間.

3
a
不可算名詞 占領占拠.

Weblio

日本語を使う日本国民は、日本列島内で封建体制から天皇制国家民主主義、GHQに引き継がれた象徴天皇制の影響や、単一文化を生きてきた事が基本にあるためか、Occupationを端的に表す言語を持ち合わせていません。

しかし、地球人類が人生を死生観を持って生きる上で、

『Occupation』 とは

人生の中で時間や意味、場所などを占有するもの。

家族
職業
地域の関係
余暇活動
休暇

あらゆる人間的行為や意味に紐づくことが「Occupation」です。

表題にした現在、「SDGs」と一緒に絶賛流行っている「Welbeing」=「良好な状態」

とは、

「Occupational Welbeing(OW)」

であると私は解釈しています。

ただ、私はこれまでとてもたくさんの方々とお会いしてきていますが、どの関係者からもこの言葉を聞いた事は私以外から一度もないです。

特別定義化して単略言語化する必要性もないかも知れませんが・・・。

そもそも論として、

仕事や職業、学校、社会とかは何の為にあるのでしょう?

その根本的な捉え方次第で、人は幸福や苦悩を感じる因果選択に変容が起こります。

「散歩する」「お茶を飲む」「昼寝する」

「祈る」や「瞑想する」とか「絵を描く」、
「パチンコに行く」とか「カラオケで歌う」とか

「地域交流会を主催する」とか、「政治デモに参加する」


とかも

その人の人生において意味をなす占有時間体験ならば、

立派なオキュペーションです。

それは憲法に定義された

「生存権」

として

「国家が国民に補償する」事が

当たり前の事です。

そもそも

「健康で文化的な最低限度の生活」を補償する行為は

「生活保護」とはお金を配ることだけではありません。

「健康で文化的」な「最低限度」の「生活」を「保護」すること。

です。

相対性で物事を見えれば良い話です。

「衣食住」

ならば、

住まいなら

「タワーマンション」や「大豪邸」が最高限度とするなら、

「ホームレス」が存在している時点で論外ではないでしょうか?

食ならば、

「京都吉兆」の様な外食が最高限度とするならば、

「ご飯と味噌汁、三菜」が毎日食べられる事

でしょうか。

洋服なら、

「LVMH」や「ブルガリ」が最高限度なら、

「ファストファッション」と下着靴下、靴

などすら季節毎に用意できないことは論外でしょう。

健康で文化的への解釈、

「健康」と「医療」は違います。

全ての医療費が生活保護受給者のタダ政策は、「最低限」に対して相対性的視点解釈からすれば反しています。

最低限を設けたら良いわけではないでしょうか?

103万円の壁もそうですが、生存権に紐づいた政策に対して、

日本国には現在、法律に詳しい法曹の方などが、積極的に立法府への提言参画に向かうことが早急に求められていると感じます。

バブル経済で誰もが「金でなんでもなっていた時代」と常識が変わって30年以上経っています。

「Occupational Wellbeing」

を意識した時、「共生社会」であることもまた大切に感じます。

「孤立」「孤独」「無愛」「絶望」

も「健康で文化的な最低限度の生活」という生存権への侵害で憲法違反です。

これだけ日本民族の特性と現代社会病が社会課題化している今、

新たに

生活保護者の中で希望者には「共同生活施設」での生活を積極的に国家行政が支援する制度を作ることは必要だと感じます。


完全に

日本社会によって作り出された「環境構造」による「孤独」「孤立」「分断」

であり、その因果は

景気優先のグローバル金融資本主義を主体とした無感情な数値統計から算出された総合的な失策

です。

本来は「生活保護共同生活施設」を国家や自治体が行うことは「当然」です。

以前もお話しした通り、

日本経済の生存権は「住まい」という最も重要な生存権の中心を「グローバル資本主義」の資産に巻き込んだ事に起因しています。

空き家を国が無償で提供する。

これだけで、社会保障費は大幅に削減可能でありながら、健康で文化的な生活を補償する事を促進できます。

また大問題に、「食」「公共財」「文化」に関わる産業が外国資本に買収されている事があります。

「民営化」した企業

「NTT」
「JR」
「電力会社」
「水道」

そして、国営の社会保険制度により民営が当たり前になっている業界

「医療」
「介護」


などは、

そもそも「生存権」関連

これで

災害時や有事の際、国家行政は『国民の生命』を守れるのでしょうか?


また、

食料品店や、火葬場という

『日本人が健康で文化的な生活を送る為に絶対必要』なサービス事業に『グローバル資本』が利権や経営権を資本によって取得出来る制度

ザル

ではないのでしょうか?

全く最低限の生活とは関係ない、アメリカ合衆国のUSスチールの買収さえ日本国企業が行えない。

これでは

「日本国」に「日本国民」は「生存権を脅かされている」

様に見えます。

我々日本国民は直接、行政官僚や総理大臣を選ぶ事が出来ません。


祈る事しか出来ないまま、搾取されたまま袋小路にて死ぬしかないのでしょうか?

このままなら、まともな人から順に、「グローバル」な世界に日本国民を辞めて旅立つ。それを応援したいのでしょうか?

「Wellbeing」

である事の真意を、

「心の眼で見た政策」

を国家行政に関わる日本人に目覚めてほしいなと感じます。

相対性に

「木を見て森を見ず」という諺ならば

「森を見て木を見ず」

という政策になっていないか?双方向で捉えられる柔軟さを、全ての官僚や三士業などの公益性の高い職種の方々にも非利潤追求で道徳性の高い社会づくりに勇気を持った行動を求めて欲しいなと感じます。

我々は、日本国民として生まれて子孫繁栄の未来へ祖先から託されたバトンとしての生命の今を生きています。

3000年後の未来にはきっと地球人類は統一した社会制度を実現した中を生きているでしょう。その頃に日本民族は、我々の子孫は『生存』しているのでしょうか?

「少子化」

についても完全なる失政ではないでしょうか?

怠慢以外の何者でもないと感じます。

私は「note」した。

あとは放擲すること。未来にそれぞれの行動で「Occupation」を生きていく。

間も無く未来へポストシンギュラリティ社会を、科学や工業が切り拓いていく。

過去に作り出した「無愛」「無視」「絶望」による因果を解決して新しい世界への扉が開く。

『戦争』や『犯罪』による人類の苦しみや

ホモサピエンス全史やホモデウスに書かれてきた

『宗教』や『貨幣経済』

の歴史達にも終止符を打った

『自由』『非二元性』『愛』が当たり前の『喜び』

の中にあるバラバラな個々の地球人類が集う共創社会。

『Occupational Wellbeing』

な時代へ。

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宙唄(そらうた)Author Sorauta
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。