【映画】レナードの朝
私の大好きな俳優のひとり、ロバート・デ・ニーロ。
どこか愁いを帯びた表情で、
優しくも怪しくも、見事に演じ分ける素晴らしい方。
今作は、そんなロバート・デ・ニーロと、
名優ロビン・ウィリアムズが初共演となった作品です。
ロバート・デ・ニーロが演じるレナードは、子どもの頃に嗜眠性脳炎を発病し、30年もの間眠り続けたまま。そんな彼の元へ、母は毎日通い続けます。医師が皆、「脳は重いダメージを受けている。二度と元には戻れない」と考える中、母だけは自分の声が届いていると信じ続け、ずっと、息子に語りかけるのです。そんな母の姿に胸を打たれたのが、赴任したばかりのセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)。研究者気質であったことも加勢し、実験と観察を繰り返す中で、レナードが元に戻れるかもしれない兆候を感じ取ります。「もしかしたら」の可能性にかけ、母親の許可を得て、認可の下りていない薬をレナードに投与するセイヤー医師。
するとレナードは、30年ぶりに目覚めるのです。
みんな喜びます。母も、医師も、周りの人たちも。
レナードは、突然おじさんになっている現実を突き付けられ、受け入れられず悲しむものの、目にする世界は面白く、楽しく、母との日々や学び、人との関わりの中で、失われた30年を取り戻そうと意欲的に過ごしていきます。
そして、ひとりの女性ポーラと出会い、恋をします。
このまま、何事もなく物語の終わりを迎えられたならどれほど良かったか……。しかし、レナードに悲劇が訪れるのです。それは、薬の耐性がついてしまったことによる、症状の後退……。痙攣が始まり、症状が日々悪化。目覚める前の状態へと飲み込まれていくレナード。
そして、自分の行く先を知ったレナードは、ポーラに別れを告げます。「これで、さよならだ」と。でも、握手をし、立ち去ろうとするレナードをポーラは抱きしめ、ダンスをします。別れのダンス。そう遠くないうちに、また深い眠りに落ちてしまう彼にとってかけがえのない素敵な思い出であり、同時に辛く悲しい現実を受け入れるためのダンスでもありました。
ついに、レナードは再び眠りの中へ。彼が歩き、話した日々が嘘のように感じられてしまうほど、奇跡の日々はほんのひとときしかありませんでした。
レナードの苦しみと辛さを思い、自身の治療を責めるセイヤー医師。でも、寄り添う看護師が「命は与えられ、奪われるもの」「彼が友だちだからこそ苦しい」のだと、優しく諭してくれます。セイヤー医師は、何が正しく、何が間違っていたのかを問いながら、それでもずっと同じ医療の場に立ち続けるのです。
涙の止まらない映画です。辛く、悲しい。あまりに無慈悲で、そんな絶望をなぜ?と憤りを禁じ得ない物語。
そしてこれらが実話に基づくものだというから、現実はあまりに残酷です。
レナード本人の気持ちになり、母の気持ちになり、医師セイヤーの気持ち、彼女ポーラの気持ち……どれを慮っても、受け入れがたいことばかり。しかしレナードは、実在しました。そして、自分の病状を礎に「学べ」と医師セイヤーに言い放つ姿は強く、気高いものでした。
映画を観て強く強く願うのは、医療技術の進歩。こんな辛く悲しい思いをする人が、少しずつでもいい、減っていくことを願ってやみません。
本が発刊されたのは1973年。1960年代の出来事をまとめたものです。あれから60年以上の歳月が過ぎても尚、不治の病は数多くあります。そして、それら病に苦しみ、悲しむ人が大勢いるという現実から、目を背けてはいけないでしょう。
レナードは、自らが再び窮地に立たされるのだと知った時、恐れと絶望を感じながらも乗り越え、自身が礎になることの意義に目を向ける強さと、未来に繋げるための優しさを持てる人でした。その姿があまりに尊く、美しく、心に焼き付いています。
レナードの朝を見ると、自らの足元を確かめなくてはと思わされます。
今いるこの場所だけで本当にいいの?
ここから動き出さなくちゃ。もっと多くを見なくては。何かをしなくては。
そんな気にさせられる、悲しくも素晴らしい映画です。