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ぼくって何だろう

 小学生1年のころ、突然不眠になった。きっかけは、小1の授業で、初めてNHKのテレビの教材を見た時だ。テーマは、『ぼくって何だろう』。内容は深いものではなかったきがする。だからどんな内容だったか覚えてはいない。しかし、『ぼくって何だろう』という言葉だけが頭の中に残った。そしてそのことを考え始めると、とてつもなく恐ろしくなってきたのだ。

 『私って何?何?何?』と思ったら、不安感が押し寄せてきた。私があったら、私でないところもある。私という存在って、どういうことなのか。『今があるって』どういうこと?じゃあ今、生きてるって何、死ぬって何、どういう状態のことを指しているの? 生きるってどういうこと。なんの目的で生きるの?そんなこともわからなくって、人はどうして生きてるの? そんな疑問が噴出して、なにがなんだかわからなくなってきた。そして、不安感に襲われるようになった。

 誰かと居るときは、気が紛れて、疑問の噴出は起こらないのだけれど、例えば夜一人になると、その不安はおし寄せてくる。隣で姉は寝てるけど、「お姉ちゃん!」と言ってもなんの返事もない。姉は、布団に入ると一瞬で寝てしまう人だから。
 闇と不安が押し寄せて寝られなくなった。寝られなくなって、たまらなくなり、母に言った。人はどうして生きるの?

 母は「あんたは、あほとちゃうか、そんなん考えてもしゃあない」。と笑い飛ばした。一瞬にして、目くらましに合った様な感じがした。思考停止。しかし、当時の私もさるもの、まだまだ思考が止まりはしない。父に聞いた。父は「大人になったらわかる。いま説明してもわかりにくいからな。今は考えなくていいんや。寝れんかったらついてるから。」と、それから父は寝るまで付いていてくれるようになった。
 母と父、対照的な反応に当時の私は戸惑ったが、そのまま、父の「大人になったらわかる」を信じ、父が隣に居てくれる安心感から、寝られるようになっていった。

 大人になったらわかる。そういわれて今まで来たけど、今では十分すぎるほど大人になったが、果たして明確な正解を得ることができたのだろうか。いえいえまだまだな気がする。これからも模索し続けるのだろうな。
 大人になって当時を振り返ると、母も父も焦っただろうなっと思ってる。だけど、母の笑いきるパワーと、父らしい課題を延期する発想があったから今の私があるのだ。困ったら、笑い飛ばすか、延期する。私の中のこのテクニックは、このころから教えられてきたのかもしれない。

 自死のニュースが流れる。影響力の強い俳優陣の自死は、ストレートに動揺をしてしまう。今の私が伝えたいことは、苦しいからと死ぬのははもったいないよ、ということだ。
 生きることは苦であるが、その苦が大きければ大きいほど、そのあとの恵みが素晴らしいということ。だからこそ、苦のときに死んじゃったら、あとの恵みが得られないので、もったいないよと言いたいのだ。
 そして、人生における苦難は、それを超えられる人にのみやってくる。だからこそ、こころに余裕をもって流していけば、何とかなるのだ。そしてその後に恵みは必ずやってくる。

 絶対だ!。

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