自分管理Part3 あこがれ
最近、何に取り掛かるにしても自分のメンタルが一番大事だな、と思うようになった。勉強だったり、仕事だったり、家事だったり、他にもしなければいけない細々とした作業がたくさんあるけれど、メンタルを二の次にすれば他の何もかもが上手くいかないからだ。
もし押し潰されてしまったなら「自分管理Part1」へ。
今日は、そもそも病んだり負の感情に堕ちないためのアイディアを書き留めようと思う。「自分管理Part2」では、SNSを使用することによる感情の安定化とQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上を図った。SNSに関することだけで一つの記事を書けるほど私にとってSNSは有効なサプリメントなのだ。今回はそれ以外のサプリメント(摂取するとよりよいもの)を挙げていく。
憧れること
憧れの人がいることは、何よりのモチベーションになる。憧れでもいいし、負けたくない相手でもいい。とにかく特定の身近な人を意識することで、勉強や創作活動の場合はこれが本当に役立つ。高校受験をがんばれたのは、憧れの先輩が札幌にいたから。英検1級を取れたのは、先に受かった才色兼備なクラスメイトに憧れたから。英語ができることで有名な英語部のクラスメイトに、評判ごときで負けたくなかったから。
ここまでは短期的な目標に関してだけれど、今度は長期的な、人間性としての憧れもあるといい。有名人もいいし、歴史人物もいいし、身近な人でもいい。
私は尊敬する人がnoteを更新すると、ワクワクしながら読みにいく。最近はコメント機能も活用するよう心がけている。読んで考えたことを書き込んだり、良いと思った点をストレートに伝えたり、記事に引用されている小説がなんの小説なのか質問したり、使い方はさまざまだ。
私は同世代でnoteを書いている人は、何かしら深く考えている人だと思っている。考えが合う合わないに関わらず、このシンプルなSNSにたどり着いたことには何かしらの経緯があったことと思い親近感が湧くし、私には思いつきもしない表現や考え方を教えてくれるので自分の常識を広げてくれる。とても有意義だ。
高校時代の友人たちも、思い思いの夢に向かって羽ばたいている。学生ではできなかったことも実現していて、ほんとうにかっこいいなと思う。私も当時の仲間にあったとき「私は今はこんな活動をしていて、」と語れるようでありたい。
それはいま、夢を忘れず生きていくためのモチベーションに欠かせないことだ。
有名人の場合は深く関わることはないため幻滅させられることも滅多にないというメリットがある。目的は自分のモチベーションにすることだから、プライベートなどを深く知る必要もないのだ。ちなみに私の尊敬する芸能人とその主な理由は、鈴木光さん(才色兼備)、松丸亮吾くん(才色兼備)、メンタリストDaiGo(知識量、自分を偽らないスタイル)私も彼らのように美しく、知識豊富な人間になりたい。
憧れられること
憧れると同時に、誰かの憧れになること。
シンプル明快。誰かの憧れでいたい、幻滅させたくない、かっこいい自分でいたいという欲求。人は完璧じゃないから、ダメダメな部分もある。それでも、誰かに認められていたいから、少しでもいい自分でいるために努力する。そこに意味がある。
私のnoteを読んでくれる人がいるから、書こうと思える。自分管理なんて記事を書いている張本人が、病んでなんていられない。これも小さな一例。
私に憧れてというと烏滸がましいけれど、私の話を聞いて日本語教育の資格取得を目指し始めた後輩がいる。何だか嬉しいよね。すごく嬉しい。「どうやって勉強してましたか?」って聞いてくれるのも可愛らしく思える。そんな後輩がいるから、私はいま日本語教師として矜持を持ってキャリアを積んでいこうと思えている。
もしそれが誰かのモチベーションになるのなら。相互に良い循環といえる。
今回は、感情の安定化、QOL向上のためのアイディアとして「憧れ」を特集した。
Part1が病んだとき用なのに対して、Part2,3以降はそもそも病まないための予防策。
本当はもっと他のアイディアも書こうと思っていたのだけれど、これ以上書くと長いから、続きはまた次にしよう。
さてと、
押し付けたい訳ではないけれど、もし読者の方々がメンタル管理の点で問題を抱えているなら、私が記事にしているアイディアをぜひ試してみてほしいなと本当に思う。というのは、
先日会った人物は非常にストレスが溜まっているようだった。話していても感じ取れたし、身体にも兆候が出ていた。私は「自分管理Part1」で扱った内容、主に自然に触れることを短く勧めたのだけれど、「牧歌的なのは合わなかった」と即答。少し残念だなと感じた。本当に効果的なのに。
合わない、合わない、合わないってなんだろう。
合わないからこそ新鮮さを感じる。新たな発見があるから、知らなかった世界を知れるから面白いのでは、と私は思うけれど。ほら、合わない(笑)
確かに、自然に触れることは全てを忘れて夢中になれるような類のリフレッシュではない。でも広大な景色、うみ、そら、はたけ、さくら、やま、かぜ、あめ、たき、とかを見て、自然に身を置いてみることで、自分の抱えている悩みは自然界のスケールと比べてごく小さなことだと気づける。虫の生涯を思えば、ヒトの人生における悩みなんてごく小さなことだと気づける。小さなことだと気づければ、必要以上に考えなくて済む。必要以上に考えなければ、心に余裕ができる。心に余裕ができれば、より良いパフォーマンスが見込める。プラスアルファで、自然界のつくりに芸術の感性が磨かれたり、何かをひらめいたり、出会いがあったりするかもしれない。
効果的なのになぁ。
まあ、ときには否定的な意見も必要か。その人は私とは正反対な人間であり、考え方も感じ方も得意なこともまるで違う。それで異文化交流、また研究対象として接しているのだから、私の話を真剣に聞いていたかはここでは問題にしない。その人が鬱になろうと早死にしようと私には関係ない、どうだっていい
わけないから、私にできることの一つとしてこのシリーズ記事を書いているのだけれど。