「怠け」 「甘え」 と 「かなりや」 たち
こんにちは。あすぺるがーるです。
昨日、「かなりや」という童謡に関する記事を投稿しました。
この曲が、忘れ去られようとしているとても大切なことを教えてくれているように思ったので、 今回はそれを紹介しようと思います。
「かなりや」について
「かなりや」は、作詞: 西條八十、作曲: 成田為三によって1918年(大正8年)に発表された日本最古の童謡です。
この曲に、作詞者自身が短い小説を付けたものも発表されています。
「かなりや」のあらすじ
美しい声で鳴いていたカナリアが、ある日鳴かなくなってしまいました。
痺れを切らして「捨ててしまおうか」「埋めてしまおうか」「鞭でぶってやろうか」という子どもたちに、お母さんはこう言います。
人間でも、鳥でも、獣でも誰にでも仕事のできないときがあります。
ほかの人たちには、なまけているように見えてもその当人は、なにかほかの人にわからないことで苦しんでいるのかもしれません。
たとえば、このかなりやも、このあいだまで歌っていた歌よりも、もっといい歌をうつくしい声でこれから歌いだそうとして、いま苦しんでいるのかもしれません。
ね、だから、みんなで、いじめずに気を永くして待ってやりましょう。
お母さんは月夜に、カナリアを綺麗な船に載せて、やさしく海に浮かべてあげました。
すると、カナリアは昔の歌を思い出し、前よりもはるかに美しく歌い出しました。
「かなりや」の教訓
昨今、ただじっとしているだけで行動していない(ように見える)人を 「怠け」 「甘え」 などといって貶す風潮があります。
このような「怠け叩き」をしたり、されたり、あるいは他の人がやっているのを見たりしたときに、お母さんのこの言葉を思い出してほしいのです。
人間でも、鳥でも、獣でも誰にでも仕事のできないときがあります。
ほかの人たちには、なまけているように見えてもその当人は、なにかほかの人にわからないことで苦しんでいるのかもしれません。
そう、私たち生きとし生けるものは、24時間365日動きっぱなしでいることはできないのです。
仕事のできない時間、休まなくてはいけない時間だって、人それぞれです。
中には、取り立てて休まなくてはいけない事情のある人もいるでしょう。
一人で背負えるものではないのに、他の誰にも代われない、ややもすると支えてすらもらえない、重たい事情の数々。
そんなことを抱えてながら他の人と同じように動いていたら、いつ病気になってもおかしくありません。
病気だって、外見で分かるものばかりではありません。
目には見えない肌の内側、そして「心」も、傷つきすぎると確かに病気になるのです。
生まれたときから傷がある人だっています。
そして、体や「心」── 精神の傷つきやすさも人それぞれです。
体や精神の「見えない傷」がどんな状態かは、当人にさえ分からないことがあります。
ましてや、他人が勝手に「治った」だの「心の病気なんて存在しない」だの言えるものでは、決してないのです。
(肉親や支援者も他人のうち。)
そんな中でも、当人たちは少しでも良くなろうと頑張り続けてるのです。
たとえば、このかなりやも、このあいだまで歌っていた歌よりも、もっといい歌をうつくしい声でこれから歌いだそうとして、いま苦しんでいるのかもしれません。
もっと頑張りたいのは、当人の方なんですよ。
それでも、今の状態が限界なんです。
それなのに「怠け」だの「甘え」だの、「あなたは病気なんかじゃない」だの「病気なんて存在しない」だの…
はっきり言って、人殺しですよ。
だいたい「怠け」とか「甘え」とか言う人、当人と何の関係もないし、当人に何をされたわけでもないじゃないですか。
当人が公害でも起こしてるならともかく…
だから「かなりや」の皆さんには、「甘え」とか「怠け」とか、抱えているものの苦しさを否定するような言葉には耳を貸さず、気兼ねなく傷が癒えるまで休み続けてほしいと思います。
そして言う側の皆さんには、自分はかなりやに乱暴する子どもたちと同レベルのことをしていると認識してほしいです。
象牙の船も銀の櫂も与えられないなら、せめて黙っていてください。
Mind YOUR OWN business.
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