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自己愛が深まる脳内幼稚園思考

昔からとにかく自分へのダメ出しが激しくて
色んな本を読んでは自分を許そう、愛そうと思っていました。

けど、実際はぐるぐると自分の頭の中でいろんな思考が巡ってしまい
どれが自分の本音か分からなくなってしまう…
そんな事が多かった私ですが
先日寝る間際に一つ、自分なりに楽かもしれない方法がぽっと浮かんで涙が出ました。


名づけて「自分幼稚園思考」
ちょっとアホっぽネーミングかもしれませんがw

例えば、職場で苦手な人が居た場合
脳内の園児(エゴ)たちはこんな話し合いもとい喧嘩をおっぱじめます。

A「コイツ嫌いー!ムカつくー!関わりたくないー!」
B「コラ!!そんなこと言っちゃダメ!断ったら嫌な奴になる!嫌な奴になったらお前嫌われるだろ!そうなったら仕事しづらいじゃん!」
C「そんな風にまた自分を叩いて!叩かないって決めたじゃない!また自分を苦しめて!いい加減にしなよ!」
D「そんなお前もまた叩いてるじゃーんwしかも嫌われる勇気って本読んだりしたのにまだそんなこと考えてんのか。意味ねーじゃんw」

これらは全て自分(のエゴ)であり、みんな可愛い脳内園児たちですw
そしてこの子たちをすべてを受け入れる聖母のような先生の目線でよしよししてやる。
これが自分幼稚園思考法ですw

今回の場合であれば…

A「コイツ嫌いー!ムカつくー!関わりたくないー!」
先生「そっかー嫌いなんだねー。ムカつくなぁー。こんなこと言われたらそりゃムカついて当然だよなぁー。苦しいのによくその気持ちを吐き出したね!偉い偉い!」

B「コラ!!そんなこと言っちゃダメ!断ったら嫌な奴になる!嫌な奴になったらお前嫌われるだろ!そうなったら仕事しづらいじゃん!」
先生「うんうん。そうだね、嫌な奴になるの嫌だよね。嫌われるのって本当に辛い思いをするもんね。そこからAちゃんを守ってあげようとしてるんだ。すごいね。偉かったね」

C「そんな風にまた自分を叩いて!叩かないって決めたじゃない!また自分を苦しめて!いい加減にしなよ!」
先生「そうだね。叩かないって決めたもんね。覚えててくれてありがとうね。気づかせてくれてありがとうね。どうしても自分を叩いちゃう自分Bくんから自分Aちゃんを守ろうとしてくれてるんだ。とても難しい役目なのに出てきてくれてありがとうね」

D「そんなお前もまた叩いてるじゃーんwしかも嫌われる勇気って本読んだりしたのにまだそんなこと考えてんのか。意味ねーじゃんwあれ?これって俺もま叩いてるwもう終わんねーしめんどくせー」
先生「ほんとそうだね。こうやって堂々巡りしてるとなんだか疲れちゃうよね。君はそんな状況も客観的に見て更に本で読んだことを活かしたいって思ってくれてるんだね!ほんとに勉強家だ。よく頑張っているね。疲れたら休んでもいいんだからね」


…、とまぁこんな感じで
とにかくすべての子供たちの言い分を「うんうん」「よしよし」と聞いて甘えさせてあげると、不思議と心が落ち着いてきます。
これをやってると、「あぁ愛されてるなー」という実感と「わちゃわちゃしてる子供たち(自分)可愛いw」という気持ちが両方とも味わうことができるのです。
思いっきりエゴとしての言い分をぶちまけて、且つ、ハイヤーセルフの視点に立てるような感覚。
エゴに振り回されず、全ては一時子供がぐずっているに過ぎないのだと客観的になれる感覚があります。

私は自分の中の思考がとにかく分裂的というか
次から次に沸き起こってきて、勝手にあらゆる視点からものを考えたり自己否定の言葉が浮かんでくることが本当に癖になっていました。

どれが自分の本当の声で、どれが自分の思考(エゴ)の声か分からない…

そう思っていたんですけど、ふと「あぁ、全部私の声だ」と気づいたら
どれが何というような判断すら必要がない事に気付き腑に落ちました。
(まぁ大体は頭で考えたエゴの声なのですがw)

様々な本を読んだりする中で私はインナーチャイルドは一人なんだと思ってました。
でも、どうも心の中の小さい自分に向かって語り掛けても、私の中の小さい私はかたくなで、なかなか自分を語ってくれることはありませんでした。
今回、私が腑に落ちた感覚としては、インナーチャイルドは当然のように複数人居て、色んな経験を積んだ色んな年齢の私が無数に存在しています。
過去は今もここに存在していて、無数の過去の未消化な感情を抱えたままの自分が今も存在しているのです。
その子たちの誰1人、無視したり居なかったことにはできません。
そんな気持ちになった時、自己愛や自己理解、自己受容というようなものが深まったんじゃないかなと感じます。

私の自分幼稚園の子供たちはしょっちゅう喧嘩ばかりしていますが、
全ての子供たちが一様にニコニコと張り付けたような笑みで同じことしか言わなかったら気味悪いですよね。
みんな違って、みんないい。
私の中にも沢山の私が居て、そのすべてが個性豊かで愛おしいです。

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