お菓子のおいしさは包装で決まる
私が2018年に起業して始めた事業は、ひと言で表すと「お菓子専門ラッピングスクール」である。
「お菓子専門ラッピングスクール」と聞くとほとんどの人は、華やかで見栄えするかわいいラッピングを教えているのだろうと考える。
しかし、実際に私がスクールの講座で教えているのはそれほど華やかでない、つまり、「地味」なものである。
リボンや包装紙で装飾された、華やかな「ラッピング」を想像した人は、こういった私のお菓子の写真を見て、
「…あ、シ、シンプルなんだね。」
と「地味」という単語を使わずに何とか誉めなくては、いう反応をする。
正直、それは私の思惑通りの反応であり、むしろ、「地味」であることが私の仕事の本質を表していると思う。
「ラッピング」と「包装」の違い
「ラッピング」も「包装」もどちらも言葉としての意味は同じようなものだと思うが、私が今まで菓子店等の現場で働いてきた感覚だと、状況に応じて使い分けしていることが多かったように思う。
「ラッピング」は装飾して華やかにするイメージの包みを指す言葉である。
一般の人が想像する「ラッピング」はこちらだろう。
リボンをつけたりシールを貼ったり、包装紙で包んだり、見栄えをよくする目的で行うものだ。
対して、私が使う「包装」は華やかな装飾を施すよりも、その前の段階を指す言葉だ。
お菓子のプロの現場では、焼きあがったマドレーヌやクッキーなどを衛生に配慮しながら袋に入れる作業のように、お菓子を裸のところから何かに包む第一歩の段階を「包装」と呼ぶことが多いと思う。
菓子業界ではこの「包装」は何よりも衛生に配慮して、お菓子の安全とおいしさを保つために行う作業であり、この段階では華やかさは求めないことがほとんどである。
とはいえ、実際には世の中では、包装紙で箱を華やかに包むときだって「包装」と言うことはあるし、裸のクッキーを袋に入れることを「ラッピング」と言うこともある。
当然だが、私も世の中の全ての菓子店で働いたことがあるわけではないので、前述の「ラッピング」「包装」の私の解釈が該当しない店もあるかもしれないが、少なくとも私が働いた複数の店では、裸のお菓子を包む第一段階をラッピングと呼ぶことはなかった。
言葉の意味の厳密な線引きは業界内でも決まっていないのだが、私はこの
「華やかな装飾を施すためのラッピング」
と
「お菓子のおいしさと安全を保つための包装」
という言葉を明確に使い分けることを起業前から意識してきた。
そして、私の専門はあくまでも「お菓子のおいしさを保つ包装」である。
私は便宜上「ラッピングスクール」という言葉は使うものの、実際に教えているメインの部分は「包装」なのだ。
「お菓子のおいしさは包装で決まる」
私は起業すると決めたときから、この言葉をずっと大事にしてきた。
いや、正確には菓子店でヴァンドゥーズだったころから、頭の中で考えてきたことだ。
「お菓子のおいしさは何で決まるのか」と質問をすれば
だいたいの人は「材料の良さ」や「作り手の腕(技術)」などと答えるだろう。
確かにそれも大事なことではあるが、どんなにいい材料と素晴らしい技術でおいしいお菓子が完成しても、最後に包み方を間違えると全てが台無しになる。
このことをしっかり理解できている人は少ないと思う。
例えば
サクサクでおいしいクッキーが出来上がったとしても
乾燥剤を入れる量を間違えたり、袋の素材選びを間違えたりすると、早く湿気ってしまう。
しっとりしておいしいマドレーヌに脱酸素剤を入れて日持ちをさせようとしても、袋の密封がうまく出来ていないかったら、効果が出ずにカビや好気性菌の繁殖が起きて賞味期限を迎えるより前に傷んでしまう。
このように、どんなに素晴らしい材料で、どれだけの高い技術でお菓子を作ったとしても、最後に包装を間違えてしまうと、すべてが台無しになる。
これが「お菓子のおいしさは包装で決まる」ということである。
お菓子の製造販売は人の命を預かる仕事
直接、「包装」ではないが、食品表示も同じだ。
どんなに商品が美味しく出来上がっていても、表示内容が間違っているとアレルゲンの書き漏れなどが起きる可能性がある。
卵が入っているクッキーに、間違えて卵が入っていないクッキーの食品表示を貼ってしまったら、表示を信じてお菓子を口にした卵アレルギーのお客様にアナフィラキシーショックなどを起こさせてしまい、最悪、お客様の命を奪ってしまうことにもなる。
もちろん、食品表示だけでなく食中毒や異物混入等により、命に関わる事態を起こすこともある。
つまり、お菓子を売ろうと思っても
ただお菓子がおいしく作れる技術があるだけではプロとは言えない。
お菓子の製造販売は人の命を預かる仕事なのだ。
作った後に、お客様の口に入るその瞬間までおいしさと安全を保つことができて、そして最後まで責任を持てること、それがプロだと私は考える。
常識だと信じて疑わなかったヴァンドゥーズ時代
私はこの「お菓子のおいしさと安全を保つ包装」が大切だと、7年間のヴァンドゥーズ経験から常々思っていた。
どんなにパティシエがおいしく作っても、私たちヴァンドゥーズが最後に包み方を間違えたら、お菓子は崩れたり、傷んだりしてしまう。
口に入るのは一瞬だが、お菓子というものがどれほど大変な製造過程を経て出来上がるかを知っているだけに、ヴァンドゥーズとしてその最後の砦を担う緊張感はすさまじいものがあって、毎日緊張しながら仕事をしていたし、その緊張感こそがプロとしての自覚だと思っていた。
お菓子のおいしさを決める包装の大切さと、その仕事の緊張感。
ヴァンドゥーズとして働く間は、これは口に出すまでもないくらい当たり前のことで、世の中の常識だと信じて疑うこともなかった。
しかし、私はやむを得ない事情でヴァンドゥーズを退職し、28歳にして初めて菓子店の以外のお菓子の仕事で働くことになり、カルチャーショックを受けることになるのだ。
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