8年悩んだ「私にしかできない仕事」のパズルが完成した瞬間
側弯症の手術でボルトを大量に入れて一生曲がらなくなった背骨を持ち、しかも元ヴァンドゥーズ(販売員)である私は、パティシエとは違い、とにかく自分で起業しない限りお菓子の仕事を続けることは難しいだろうと感じていた。
そして、起業のために実際に行動を始めたのがちょうど2016年8月。
2016年8月6日は私の30歳の誕生日だった。
30歳の私はまだ具体的に何をするかは決めていなかったものの、とにかくお菓子に関わる仕事で起業しなくてはと考え、お菓子教室に行ったり、実際にお菓子教室のアシスタントになったりしてどんな仕事ができるかをリサーチする日々を送った。
私が始める事業内容には、絶対に譲れないポイントが2つあった。
1つが
「お菓子に関わる事業であること」
もう1つが
「私にしかできない、まだ他の誰もやっていない分野で、求めている人が一定数いること」
だった。
今振り返ると、初めての起業の割に、2つ目がかなり厳しい条件だなと思う。
でも、この2つ目の条件を譲らずに起業した自分に今、心からお礼を言いたい。
実は「お菓子作りがそれほど好きではない」という事実
・製菓専門学校卒
・パティスリーでの7年間のヴァンドゥーズ経験
という私の経歴からして、無難に起業するならお菓子教室だろう。
しかし実をいうと、私はお菓子を作るのがそれほど好きではない。
小さいころからお菓子作りが大好きだったが、就職してお菓子が仕事になり、プロの厳しい世界を見てきたことで、もうお菓子を作るということを仕事にして純粋に突き詰めることはできなくなってしまったと感じる。
長い間プロフェッショナルなパティシエたちを見てきたので、自分は決して「職人」ではなく、どちらかというと「商売人」の方だと自覚していたのだ。
(そうは言っても今でもお菓子はそこそこレベルで作れる方であると思いたいが。)
そのため、お菓子教室をして毎月のようにおいしさを求めて研究し、新作のお菓子を考えていくという職人気質な作業は、私は絶対無理だと思っていたのである(今もそう思っている)。
そこで出てくるのが2つ目の条件である、
「私にしかできない、まだ他の誰もやっていない分野で、求めている人が一定数いること」
だった。
小さいころから人と同じなのは好きではない方だったが、せっかく起業するのだから、他の誰もやっていないことがしたいと思った。
これは私が20歳ごろから今もずっと尊敬して憧れ続けている料理家のSHIORIさんの影響が強いと思う。
SHIORIさんが教えてくれたこと
SHIORIさんは弱冠22歳で「作ってあげたい彼ごはん」という料理本を出版し、若くして大人気になった料理家である。
↑2007年くらいの本なのでもう正式な販売がされていないものと思われる。
私自身、一人暮らしの時にはSHIORIさんの料理本に大変お世話になり、代官山にSHIORIさんのアトリエができたときはコースのレッスンに2期生として通って直接習うことができた。
そして、今もSHIORIさんにはオンライン料理教室でお世話になっている。
といってもオンライン料理教室は約10000人が参加する超人気教室なので、私はその中の一人というだけであり、一方的にお世話になっているだけなのだが。
SHIORIさんの愛にあふれた素晴らしい文章はこちらをぜひご覧いただきたい。
SHIORIさんは私の2歳年上で年齢も近く、しかも同じ8月生まれ。
笑顔が素敵で、周りの人を大切にする気遣いにあふれた文章と言動、そして料理に対してだけでなく、生徒、スタッフさん、ご家族、など、関わる全ての人に対して愛情深い方で、人間として尊敬できる、昔も今もずっと憧れの存在なのだ。
SHIORIさんが大人気になった理由がその当時まだ誰もやっていなかった
「若い女の子が一人暮らしの狭いキッチンで彼氏のために作る料理」というジャンルを切り開いたことだった。
「料理と言えば主婦のもの」という時代にも関わらず、ファッション誌で料理の連載を持ち、しかも、レシピは「男子の胃袋を掴む料理なのに狭いキッチンでも作れる工夫がされたもの」である。
さらに、出来上がりは「彼氏がちょっと多めの2人分」という量。
なんてよく考えられたコンセプトなのだろう。そして、若い女の子のための料理なんて初めて見た!と、本当に衝撃だった。
(個人的にはフライパンひとつでマカロニをゆでてソースも一気に作るグラタンレシピが衝撃で、お気に入りだった)
しかもこのコンセプトのすごいところは
「絶対にベテランの料理家にはできなくて、SHIORIさんにしかできない、まだ他の誰もやっていない分野で、求めている人が一定数いること」だったというところである。
私はこれこそが成功の秘訣だと、20代前半でSHIORIさんの活動から教えて頂いたのだ。
私とほぼ年齢が変わらないSHIORIさんが、自分にしかできないことでメディアにでて大活躍されている姿は本当に憧れで、いつもブログを見ては勇気をもらっていた。
このSHIORIさんへの憧れがあったからこそ、いつか私も
「私にしかできない、まだ他の誰もやっていない分野で、求めている人が一定数いること」
で仕事がしたいと思うようになった。
8年完成しなかったパズルのピースがはまった瞬間
とにかく私の起業は
「お菓子屋さんではなく、お菓子教室でもないけれどお菓子に関わる仕事で、なおかつ、私にしかできないこと。そして、求めている人が一定数いること。」
この条件で始めたい!と強く考え、毎日とにかく考えに考えた。
起業のための色々な本も読んだし、
本屋さんのレシピ本コーナーでトレンドをよく見て研究し、まだ誰もやっていなくて求めている人がいるジャンルはないかと考えた。
ひたすら考える日々の中、頭の中にはこのようなワードが散らばっていた。
・10店舗以上で毎日お菓子を包んだ7年間のヴァンドゥーズ経験
・製菓学校で学んだ経験と製菓衛生師の資格
・お菓子を売りたい人が多くいる
・お菓子の包み方を知らないためにお菓子を台無しにしている人がいる
こうした小さなキーワードが頭の中でバラバラとし散らばっている状態だったが、ある日お菓子のラッピングを教えている教室はあるのかと検索しているうちに
・脱酸素剤や乾燥剤の正しい知識を教えている場所がない
ということに気が付いた。
お店で働いていた経験から、こういった脱酸素剤や乾燥剤は正しい知識を持っていないと何の効果も発揮しないということを理解していた。
しかし、これを習えるところが無いのだと気が付いた。
このときからパズルのピースのように少しずつ繋がって、ある時に全てがカチッとはまった音がした気がした。
「お菓子に関わる仕事」で
「私にしかできない、まだ他の誰もやっていない分野で、求めている人が一定数いること」は
お菓子のおいしさと安全を保つ包装のお店のテクニックを伝える仕事だ!
パズルがきちんとはまったときから、一切迷いが無くなった。
この分野だったら、私は他の誰よりも詳しくなれる自信があるし、この時点ですでにパティシエよりも絶対に詳しいと断言できた。
なぜなら、パティシエよりもはるかに多くのお菓子を包んで、お客様と直接お話しながら販売をしてきたという経験があったからである。
社内異動が多かったので、販売した場所の経験数も他のヴァンドゥーズより多かったことも自信になった。
20代はヴァンドゥーズとして将来が見えない中で、ずっと不安を感じながら働いてきたけれど、ヴァンドゥーズ経験がこれほど役に立つ分野は無いと、そして、自分の経験が誰かの役に立てると確信し、パズルがはまった瞬間に鳥肌が立った。
こうして文章にするとあっという間だが、私は自分の将来がどうなるか悩み続けて、このコンセプト見つかるまで軽く8年はかかった。
8年間毎日考え続けても完成しなかったパズルがいきなりすべてきれいにはまって完成した気持ちを想像してほしい。
将来が見えない不安の中で働いていたのに、そこに無駄な経験はなかった
コンセプトが決まってからは、色々な方のアドバイスも頂き
「お菓子のおいしさは包装で決まる!」という言葉を元に、
装飾ではない、お菓子のおいしさを保つ包装技術を教える教室を作ろうと決めたのだ。
こうして考えると、今こうして約200名の生徒様に「お菓子のおいしさと安全を保つ包装」をお伝え出来ているのは本当にいろいろな方に関わらせていただいたからだと思う。
SHIORIさんの影響も大きいが、今までお世話になったお店のシェフや上司・先輩方、お客様、アシスタントしていたお菓子研究家の先生など、色々なプロフェッショナルな皆さんとお仕事させていただいたことで、このコンセプトに導かれたと思う。
ヴァンドゥーズ時代は将来が見えない中で働くのが本当に辛かった。
仕事が好きでも将来が見えないのは、ゴールの見えないトンネルの中で走っているようなもの。いくら走るのが好きでもゴールが見えない中を走るのは辛いのだ。
しかし、こうして8年悩んだパズルが完成したら、その経験がすべてが仕事に活きている。
無駄なことは一つもなかった。
いい出会いも、その時は嫌な思いをした出会いも、今となっては全て私の糧になって、こうして素晴らしい生徒様や優秀なスタッフと過ごせる今に繋がっているのだ。
私の仕事のミッションは
「お菓子の仕事でプロとして生き生きと働ける人を増やす」
ということだ。
以前にも書いたが、これからwrappedで働いてくれるスタッフには
・元ヴァンドゥーズ
・元パティシエ(元パティシエール)
を積極的に採用していきたい。
きっと私と同じように、好きな仕事だけれどゴールの見えないトンネルで走り続けて苦しんだ人がいると思う。
そういう人に過去の経験を最大限に活かせる場を作りたい。
そして私と同じように、自分の経験が無駄ではなかったと、生き生き働いてほしいのだ。
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