文学フリーマーケットについて
今日は文学フリーマーケット東京(文フリ東京)の予定日だった。
コロナで吹き飛んだ。
昔は、文フリがある前の日は、「どれくらい売れるだろう?」とか、興奮して眠れないことはないが、寝不足になることはあった。
いざ始まってみると、人の圧に負けて自分のサークルの売りを出せないでいた。
唐突ですが、ぼくはとある文学サークルに所属していまして、小説を書いてますし、サークルに作品を提出したり、自分で個人誌を作ったりしています。
しかし、ここ最近はその熱が失われつつある。
言ってしまえば惰性でサークルに所属をしていて、同人誌を作っているような気持ちになっている。
そもそも、ぼくの目指す方向性とは違うのではないだろうかと思うようになってきている。
ぼくが小説を書いている理由は、プロの小説家になりたいから書いているんだと。同人誌なんかにいちいち書いている作品はないと心のどこかで思っているかもしれない。いや、思っている。矛盾を起こしている。
だから、今日という日を迎えても、なんの寂しい気持ちにならないし、11月にも一応ブースを取ったが、もし開催されなくてもそんなに困ることはないと思っている。
ネット、Twitterではエア文フリというのが開催されていたがそれがそんなに盛り上がっているようには思えなかった。
いや、さらにここで爆弾発言をしてしまえば、ぼくはTwitterをしていない。サークルのTwitterのアカウントから見た範囲の話だ。
Twitterのアカウントを消したことは同人誌の人たちへの決別でもある。いちいち、宣伝したときに自分のツイートがどれくらいの人に見られたかとを調べたり、他人がどうやって宣伝していたり、活動していることを見ているが苦しくて、悔しくて、たまらなくなってしまったのだ。
同人誌はいわば、麻薬のようなものだ。承認欲求を簡単に満たしてもらえるものだ。ぼくもまだ、その快楽からは完全には抜け切れてはいないようだ。
だが、幸いにも今年はコロナで、イベントごとは尽く吹き飛んでいくだろう。
その中で、ぼくは一人で公募にむけて小説を書いていくことによって、依存からの脱却ができるのではないだろうか。