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先崎『本居宣長』の害悪

やはりいい加減な本をだしちゃいけないんですよ。人文系学に魅力を感じてとりくんでる人を害するから。 しかし思えば先崎の言う本居宣長が武士ワナビーだったってものすごい矮小化だよね。保守言論人ワナビーの自己像が投影されてるんだろうな。

    • 『本居宣長』が多すぎる

       平山周吉という人(「雑文家」らしい)が先崎彰容『本居宣長』の書評を書いていた。  内容的にはどうでもいいことしか書いていない。  やれやれと思ったのは最後の一文。  前の記事(これとこれとこれとこれ)で批判したように、先崎の本ははじめの50頁ほどだけでも、めちゃくちゃな事実誤認をふくんでいる。文章は無暗に深刻ぶって江藤淳ごっこをしているだけ。文芸評論の金字塔である小林秀雄の『本居宣長』はもちろん、膨大な文献を参照して近代の日本人が宣長をどのように読んできたのかをたどっ

      • 荻生徂徠と貨幣経済 先崎彰容『本居宣長』4

         これまで(第1回・第2回・第3回)、本居宣長のライフヒストリーについての先崎彰容『本居宣長』の議論がめちゃくちゃであることをあきらかにしてきた。  先崎の本で宣長を知る人が増えると、宣長の生涯を探究した優れた先人たちの業績を台無しになる。新聞の書評もいくつか見てみたが無難なものばかり。一般むけの本なので、専門家による本格的な書評は出るのかどうか、さだかではない。    ということでどこの職場にも1人はいる思想史趣味中年男性ことわたくしが、ネットの片隅で注意喚起しているわけ

        • 宣長改姓の謎? 先崎彰容『本居宣長』 3

           先崎彰容氏、それは書き手としてどうなの?という話をする。  まずは若き日の宣長をめぐる状況を整理する。(前回の記事はこちら)  兄・定治(宗五郎)が急逝したため、宣長は21歳で小津家の家督を継ぐことになった。当時家のことを差配していた母・お勝は、宣長が商売に疎いことを心配し、宣長は京都で学問して医者になるのが良いと判断した。宣長は母の勧めにしたがって京都に遊学し、同時に、姓を商家の屋号である「小津」から小津家の先祖(ただし養子入りにより血筋は絶えている)の姓である「本居

          先崎彰容『本居宣長』について 2

           前回、宣長のライフヒストリーをめぐる先崎の説明のまちがいを指摘した。その後ちょっと気になって本居宣長「家のむかし物語」を原文で確認したところ(前回は孫引きですませていた)、いろいろと新たな事実がわかった。  結論からいえば、先崎の主張は、思った以上に酷いものだった。  ちょっと気になったというのは、本書の次の箇所。宣長の父・小津定利が急逝したあとの状況を記した部分である。  宣長が小津家の家督継承者と見られていなかったこと、それゆえ兄の定治(宗五郎)を「中継ぎ投手」と

          先崎彰容『本居宣長』について 2

          先崎彰容『本居宣長』について

           先崎彰容『本居宣長』(新潮選書)を読んだ。ネット上では好意的な反応が目につくが、問題の多い本だと思った。この本から本居宣長に入ると、偏った理解を持つことになりかねない。とりあえず第1章について気づいた問題を指摘し、注意を喚起しておきたい。  第1章では、若き宣長の自己形成が、「家」との葛藤をくぐりぬけた先の自己発見のプロセスとして論じられている。宣長の生まれた小津家は裕福な商人の家だった。しかし和歌や学問に心を寄せる宣長は商売にはうとく、母の提案により医者となることを決め

          先崎彰容『本居宣長』について