人に会って、人をおもう。
先日取引先を訪問したら、在宅勤務の話となった。
その会社では、ほとんどの人が会社に出勤せず、在宅勤務をしているらしい。
テレワークが始まった時の感動は今も忘れない。
コロナが発生して、今までは出勤することが当たり前だった日常が変わった。
会社に来ることが当たり前の世界が、会社にこないことが当たり前になった。
周りの人は手放しに喜んでいた。
やった、満員電車に乗らないで、家で仕事できるなんて、なんて素晴らしいことか。
Teams会議もなんだかかっこいい。
あれ、今までやってきたことは無駄だったんだ。
全部家でできてしまうんだ。新しい働き方だ、働き方改革だ。
あれよこれよと、テレワーク礼賛の世界に染まっていった。
そんな話を聞いた時、iPodが普及し始めた時を思い出した。
それまでは、カセットやCD、MDを持ち運ばなかければいけなかった。
そこでiPodが登場した。
これひとつで1000曲が持ち運べる。
これは革命だということになったのです。
もちろん、1000曲持ち運べる魅力はとても大きい。いつでもどこでも好きな曲を聴ける自由は素晴らしい。
現在は、サブスクの世界となり、曲数なんて、一生かけても聞けない音楽にアクセスできる。
これも素晴らしいことだと思う。
検索すれば、聞きたい曲をすぐに聴けることはこの上なく便利なのである。
ここで、ネガティブな面についても考えてみたい。
iPodになってからは、それまでCDを買うときの楽しみだった、ブックレットを読むことがなくなった。
もちろんウィキペディアで情報は入手できる。
けれども、そのCDの為だけに書かれた解説と洋楽であれば、翻訳した日本語の歌詞は貴重な情報だった。
そして、CDあれば、すぐに違う曲に変えることもできなかったので、何度も聴いた。
そうすると、その曲を味わい、自分の中に浸透していった。
今でも中学生の頃にお金を貯めて買ったCDの解説はよく覚えているし、その文章が、その時の知識が、今の自分を形作っていると言っても過言ではない。
在宅勤務の話にもう一度戻りたい。
在宅勤務、人に合わない世界も、デメリットがあると思う。
例えば、出張してお客さんに会いに行く。
一見すると、旅費も、移動時間も無駄なように見える。
けれど、本当にそうだろうか?
実際に相手が普段働く場所で打ち合わせをすると、相手の置かれている環境がよくわかる。
同じ場所を共有することによって、仕事がやりやすくなることは多いにある。
実際に働いているのは、人間なのだから、もちろん目の前で会った人の方がやりやすい。
テレワーク礼讃の昨今の社会で、上司の影響も会って、可能な限り人に会うようにしている。
記号としての存在ではなくて、人間として、人と人の繋がりを大切にしたい。
なんでも簡単につながる社会だからこそ、めんどくさいことをして、わざわざ会うことが、今まで以上価値があるように思う。