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やさしいアジフライ(晩御飯は、なに食べたい?)

あたたかい夕飯とやさしさ

やさしさとは何か?
頭に浮かぶのは、「晩御飯」だ。

大学生になって、家で夕飯を取ることが少なくなっていった。

飲み会にいったり、東京の街中でお洒落なカフェ飯を食べたり、バイト先のラーメンを食べたり。高校生まで当たり前だった、”家で食べる夕飯”が当たり前でなくなっていった。

ある日の話。こんなメールを母親にした。

「今日は家で夕飯食べるので、よろしくお願いします」

ぼくが、そんなメールすると必ず返事してくれた。

「了解!今日の晩御飯は何食べたい?」

いまなら絶対に家に帰ろうと思う。けれど、当時は複雑な気持ちだった。

バイトが急に入ったり、友人に飲み会に誘われたり、帰るといったのに、家に時間通り、帰れないことが少なくなかった。

アジフライとテーブルの上の置手紙

日付が変わる頃に家に帰ると、母親はすでに寝ていた。

机の上には、アジフライと置手紙。

”冷たくなっていると思うので、電子レンジで温めてね。”

”明日は8時からパートに行ってきます。おやすみ。母。”

チラシの裏をメモ代わりにしたその紙には、そんなことが書いてあった。

申し訳ない気持ちと共に、チンして食べたアジフライの味は今も忘れられない。

大人になれば、今想えば。

大人になって、人にご飯を作ったり、人を待つことも増えた。

家族の帰りが遅い時、家で料理を作って待つ気持ち。あったかいものを、おいしい料理を食べてほしい。いつ帰ってくるのだろうか。無事に家路に着いているのか。いろいろな考えが頭に浮かぶ。

夕飯を準備しながら、帰宅する家族を待つ気持ちが、わかった気がした。

社会人になり、母親がメールで”夕飯は何食べたい?”と聞く気持ちが少しわかった気がしたのだ。

やさしさは、行動によってしかわからない。言葉で言っても、思っていても、わからない。

だからこそ、ぼくは母の夕飯から、やさしさを感じる。

やさしさとは、だれかの幸せを想い、見返りを求めず行動することなのかもしれない。

お母さん、いつもどうもありがとう。

これからもよろしくです。

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