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【短歌】呼び名なき或る日たち7

呼び名なき或る日たちとは
 わたしは基本的に何らかのテーマを設定して連作短歌とすることが多い。しかし特にテーマを決めず気のままに詠むこともある。そこでそうしたテーマなき、呼び名なき或る日の歌たちをまとめたもの。
 今回の作品たちが、どこかのあなたへ、その何らかの感情に触れることができましたら幸いです。

  • 不意に息の仕方を忘れる瞬間寝るときとか目と目が合うとか

  • 少しだけ話しをしよう風の友とあそこの枯れ木、枝葉たちと

  • 希望だろうが絶望だろうが咲いたら花だろうが。愛でろ愛でろ

  • わたしへ、奇妙で孤独な旅路をともにするわたしに感謝なさい

  • ああ今、今を無駄にするという贅沢をしているところなのです

  • 足裏を叩く手で叩く乾いた音する足裏を手で独りで


雑感

 わたしの創作意欲の原点のひとつとしてあるのが「こういうの見たい・聞きたいんだけど、知るかぎりあんまりないから自分で作るしかねえ!」です。どちらかというと「こういうメッセージを伝えたいんだ」のような部分はあまりない方だと思います。もちろんその時の自分の感情に身を任せて創作することもありますし、何らかのメッセージを込めることもありますが多くはないと自負しています。

 たとえば音楽。一時期、ギターを弾いて作曲してみたりしていました。音楽にそれほど詳しくないので、自分が好きな音楽を作れるのが自分だった、というわかりやすい行動です。ところがいろいろな音楽を聞いてみると「あれ、もう自分で作らなくても、世の中に好みの曲いっぱい見つけてきたぞ」となり、ギターを持つ頻度がどんどん減っていきました。「こういうの見たい・聞きたいんだけど、知るかぎりあんまりないから自分で作るしかねえ!」が弱まっていくのをはっきりと感じて、最近はほとんど弾いていないです。

具体的なアーティストを挙げると
・長谷川白紙 ・崎山蒼志 ・諭吉佳作/men ・君島大空
・downy ・AURORA ・うぴ子 ・Dos Monos ・Hiatus Kaiyote
・black midi ・Kroi ・Foals ・Tigran Hamasyan
などなどジャンル問わずすごく好みの人らを知った。もっとたくさんいるが特に好みの人たちを列挙してみた。

 そうすると音楽を作って、自分好みのものを楽しむぞ!というモチベーションがすっかり不要になるわけです。ほかでしっかり満たせるので。

 文芸作品だと藤枝静男や安部公房、梶井基次郎、円城塔あたりが好みなのですが、円城塔以外は故人であり、新作が出ない。そうするとやっぱり「こういうの見たい・聞きたいんだけど、知るかぎりあんまりないから自分で作るしかねえ!」となり文章作品を綴ることになるのです。もっといろいろな作家の作品を読めば良いのでしょうが、本を読む速度が遅くてなかなか好みに合う作家を見つけられないままです。

 極端な言い方をすると、自分が楽しみたいだけなのです。金やコネや時間があれば映画やドラマ、漫画作成にだって手を出しているかもしれません。幸い、人徳がまったくないので他人との縁をほとんど持っておらず、自分ひとりでやれる範囲の創作に落ち着いています。それが今は特に短歌に顕著なのです。
 いや、でも短歌は「こういうの見たい」ももちろんあるのですが、やってて単純にめちゃくちゃ楽しいので、自分好みの歌人をどれだけ見つけても続ける気がしますね。

 なんとなくですが、自分の好みに合う短歌を作れるようになりつつあるし、詠めば詠むほど、読めば読むほど変化もしていくので、短歌には是非、生涯の友としてそばにいてほしいものです。

 しかし、わたしは短歌をやっているといいつつも、短歌の何も勉強しておらず独学ですし、基本的に31文字にしているだけで57577の定型を守らないですし、短歌をやっていると言っていいのかはずっと疑問に思っています。口語自由律短歌というジャンルになるようですが、一行詩と呼ばれることもあるようです。今更ながら短歌の入門書をいくつか買ってはいるのですが、まだ読んでいません。これも楽しみであるのですが、じっくり読む時間を取れないのが正直なところ。

 わたしが一番わたしの短歌を楽しんでいますが、どこかのだれか、あなたも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

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