【短歌】ふんばれない、わたしよ
もう何も望まぬと誓ったはず何故動く何故歩くかこころよ
十年二十年崩れていく何も積み上げられてなかったのか
こんな私にだれがしたと考えてみる。ああ、わたしか?夜が怖い
手に馴染むものが何もないようなそうした人生の意味を思う
すべて自分が悪いのだとしてそれでもしがみつく生とは何か
死にたくはないのだと思う怖いからでも生きているだけなんだよ
もう届かないところへ声を上げても仕方ないんだが叫びたく
魂を水に晒して丸洗い流せぬ濁りと共に生きる
今回の作品について
前回、できる限り前向きで明るい短歌を詠もうと意気込んで作ったのです。
ところがその反動でしょうか、今回はとても暗いことばたちが出てきてしまいました。ふんばりたいわたしも、ふんばれないわたしも、明るいわたしも、暗いわたしも、それぞれあわせてひとつのわたし。そういうことなのでしょう。
いつも同じ状態でいるのはとても難しいと感じます。調子が良い日があれば悪い日だってある。寄せては返す感情の波に翻弄されながら生きているわけですが、なんとか乗りこなしていかなければならない。自分でありつづけるのも意外に大変だなぁと思ったりします。
先日、それなりに強い雨の日に散歩に出かけました。
ビニール傘を打つ音と、そこら中を叩く音。雨たちの大合唱の中に飛び込みたい気分だったのです。
散歩、と言いましたが実際には人が来ないであろう夜の公園へ行って、目を閉じてしばらく雨の歌を聞いて帰っただけ。しかし、個人的に好きな行為でして、心身の調子が悪いときに雨が降っているとたまにやります。
いちばん近くではビニール傘をバタタタバタタ。もうちょっと近く、地面ではドザァドザァ。ちょっと遠くではボチャポチャ。なにか金属があるのかターンターン。
それぞれどこで何が鳴っているのか想像しながら立っているのが好きなのです。気持ちが落ち着くと言うか、余計なことを忘れてその音たちに浸るイメージです。
暗い気持ちになったその時、ちょうど雨が降っていてくれたら「ジメジメしてイヤだな」と思わずに傘を広げてあちこち歩いてみるのは楽しいですよ。イヤなことの中に楽しいこともあるはずで、その逆もあり、ひとつの面からだけ、自分の感情だけで物事を見ないようにしたいものです。
どこかのあなたへ、その何らかの感情に触れることができましたら幸いです。