【短歌】2024年11月中旬 題目指定作品
詠んだものと題目
題目:月曜日
・雨の日と月曜日には愛する人に会いに行くのが良いらしい
題目:骨
・空に心、海が血ならば大地は骨だ星の命の間に
題目:輪
・真っ赤な輪っかの命燃ゆる廻り巡りどこまでも転がる意思
題目:メモ
・メモ残して忘れないようにする怒りとか悲しみとかきみとか
・あなたわたしのこと心のメモ:愛の欄に書くの忘れてますよ
題目:カレー
・感情のスパイスとルーでつなぐ心ひりつくような味がして
題目:影
・先を行くあなたのあとを踏みしめてわたしと影と重ね合わせて
題目:クレヨン
・クレヨンで顔をなぞって笑い合う幼子たちが大空の下
題目:初恋
・きみのこと好きになるのは初めてだからこの恋、初恋なのです
題目:雪
・踏みしめたその足跡が濁りゆく雪の降る夜の我の虚しさ
・雪のごと覆い隠したその心どれほどのどれだけの痛みが
題目:父
・愛情が足りなかったと感じてる。パパ、ママだれにぶつければ良い
・父親よ母親よ子がいるならばまっすぐに愛を伝えてくれ
・真実はわからないけど愛がない世界に生きる悲しさ覚え
雑感
「父」のお題を見たときに今回は詠むのをやめておこうか迷いました。自分ごとなので恐縮ですが小学校のときに片親になって、母親一人に育てられたから、父というものをあまり知らないのです。詠むことが特にないのです。なので「父」を「親」と取れるようにして考えてみました。
詠んだ内容にあるように、愛情が足りなかったと感じているからなのか、ほかの要因があるのか、それはわかりませんが、わたしは人から好かれているとか愛されている実感を非常に感じにくい生き物に育ってしまっています。誰かを好きになることも愛することもあまり良くわかっていません。誰かと恋愛関係になったときも、これは独占欲や所有欲であって恋とか愛とは違うものではないだろうかという不安がいつもあります。
愛す、愛されるっていったいどういう状態のことを指すんでしょうね。わたしにはただの区別をそれらしいきれいな言葉で言っているようにしか思えないのです。誰かを愛しているということはほかの誰かを愛していない、拒否しているんですよね。それってもう「特定の物や人は愛する」「特定の物や人は愛さない」となっているのでわたしの考える愛とは違うものだと思っています。
たぶん、人は愛を知らない。愛っぽく思えるなにかを愛と呼んでいるだけなんじゃないのか。そう疑ってしまっています。都合がいいから、居心地がいいから、容姿や性格が好きだから、それといっしょにいることを愛と呼ぶことにものすごく抵抗があります。互いに利用し合っているだけに見えてしまうのです。今はうまく利害が一致していて良いように作用しているかもしれませんが、どちらかに何かあれば破綻してしまうような関係や場所に愛などあるのでしょうか。
愛を知りたい。それが何なのかが。
わたしも言葉や文字を愛している気ではいますが、これは本当に愛と呼んで良い感情なのか、多少の疑いは持ったままです。
これ、上記を愛の定義とすると、ただの知り合いで普段から連絡し合ったりしない人とか、そんなに好きじゃない人とか、嫌いな人が身の回りに一人でもいたら実現できないんですよね。
いっしょにいるときは愛しているから、大事にしているから、たまに連絡しているときは愛しているから、大事に思っているから、とかそんなのぜんぜん愛じゃないと思いませんか。
なのでわたしは「利用価値が高い生き物」になろうとしてしまう悲しい存在に成り下がっていくのです。それが嫌で、ずっと独りなのかもしれません。その独りの理由の1つとしても「利用価値が低い生き物」なのだからだ、など考えて落ち込んでしまいます。
非常に損な性格だと思いますので、せめて世の中の親たちは精一杯の真っすぐの愛を子に伝えて、わたしのような歪な生き物を増やさないようにしてほしいです。
題目を出してくださる「単語で短歌」の紹介
上記のように毎日朝6時ごろに1単語、短歌のお題を出してくださっています。感謝。
これを見ているあなたもぜひ1日1詠、あたまの体操にいかがでしょうか。