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「すべての、白いものたちの」 ノーベル文学賞作家、ハン・ガン(1)



 ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読んでみました。
 この小説は、第1章が「私」、第2章が「彼女」、第3章が「すべての、白いものたちの」と独特な章構成になっています。

第1章 私 

冒頭は
「白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。
おくるみ うぶぎ しお ゆき こおり つき こめ なみ はくもくれん しろいとり しろくわらう はくし しろいいぬ はくはつ 寿衣」
と書かれています。

 「私」は不慣れな国の寒くて暗い首都に滞在していて、昔の記憶がしきりとよみがえり、いつしか思いは、母が生んだ初めての赤ん坊、姉のことにおよんでいきます。

「産着」のなかで
「霜がおりたばかりの初冬のことだった。22歳だった母はじりじりと台所まで這っていき、……ついに一人で赤ん坊を産んだ。……血まみれの小さな体に縫ったばかりの産着を着せた。しなないでおねがい。かぼそい声で泣く手のひらほどの赤ん坊を抱いて、何度となくそうささやきかけた」と書かれています。

 滞在していた街は、ヨーロッパで唯一、ナチに抵抗して、ヒットラーに徹底的に破壊され、「一度死んだ」ような街であり、この街で死んだ人々、破壊されたものと、母の願いにもかかわらず、生まれてから2時間で「死んだ」姉への思いが交差していくのです。

 そして想念は飛躍して、

「彼女」
「その子が生き延びて、その乳を飲んだとしたら、と考える。懸命に息をして、唇を動かし、乳を飲んだとしたら。……やがて一人の女になってからも何度となく危機を迎え、しかしそのたびに生き延びたとしたら、と考える……しなないで、しなないでおねがい。その言葉がお守りとなり、彼女の体に宿り、そのおかげで私ではなく彼女がここへやってくることを考える」
ようになるのです。

第2章 彼女

 冒頭の「窓の霜」ではこんな文章があります。

「彼女は、あまりの寒さに海が凍った風景を見たことがある。海は遠浅で、ひときわ静かだった。しかし波は岸から凍りはじめ、まばゆい光を放っていた。……土地の人は、こんな日を「海に霜がおりた」というらしい」

 「翼」では、

「この都市の郊外で彼女はその蝶を見た。真っ白な蝶が一匹、十一月の朝、葦の茂みのかたわらに羽根をたたんで横たわっていた」

 「みぞれ」では、

「生は誰に対しても特段に好意的ではない。……雨でもなく雪でもない、氷でもなく水でもない。目を閉じても開けていても、立ち止まっても足を速めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく額を撫でにやってくるのはみぞれ」

 「境界」では、

「この物語の中で彼女は育った。七か月で、彼女は生まれた。……生まれたばかりの彼女はか弱い声でしばらく泣いただけで静かになった。……恐ろしい予感に脅えて母がふとんを少しずつゆすってやるとそのたびに目は開いたが、すぐにぼんやり閉じてしまった。そしていつからか、ゆすってやっても反応しなくなった」

 「魂」では、

「魂があるとしたら、目に見えないその動き方はきっとあの蝶に似ているだろうと彼女は思ってきた。ならばこの都市の魂たちも、自分が銃殺された壁の前にときどき飛んできては、蝶のように音もなく羽ばたきながら、そこにとどまっているのだろうか?……彼女は、自分が置いて出てきた故国で起きたことについて考え、死者たちが十全に受けとれなかった哀悼について考えた。……だから。彼女にはいくつかの仕事が残されている……記憶しているすべての死と魂のためにー自分のそれも含めてーろうそくを灯すこと。

 この第2章に出てくる彼女は、どうやら第1章に出てきた「私」の、生後2時間で亡くなった姉のようなのです。
 その亡くなった姉は、この物語の中で育ち、1944年10月以降、ヒットラーに破壊されたポーランドのワルシャワの街を「私」になりかわって歩いているようなのです。

 そして第3章『すべての、白いものたちの』の冒頭にこう書かれています。

「初めての娘を亡くした翌年、母は男の子を早産した。最初の子よりもさらに月足らずで生まれたその子は一度も目を開けぬまま、すぐに死んだという。あの命たちが死線を越えて生の側へ踏み入ってきたならば、その後三年をおいて私が、また四年後に弟が生まれることは、なかっただろう。母が臨終の間際まで、あれらの打ちのめされた記憶を取り出してまさぐりつづけることも、なかっただろう」

 次の『あなたの目』では

「あなたの目で眺めると、違って見えた。あなたの体で歩くと、私の歩みは別物になった。私はあなたにきれいなものを見せてあげたかった。残酷さ、悲しみ、絶望、汚れ、苦痛よりも先に、あなたにだけはきれいなものを。でも思うようにいかなかった。ときどき、底知れぬ真っ暗な鏡の中にその姿を求めるように、あなたの目を覗き込んだ」

 ここで、はっきりと彼女は早世した姉であり、姉は自分になり変わってワルシャワの街を歩いていたことがわかります。

 そして、さいごの『すべての、白いものたちの』には、

「それらの白いものたち、すべての、白いものたちの中で、あなたが最後に吐き出した息を、私は私の胸に吸い込むだろう」と書かれているのです。

 読み終えて、わたしは思いました。

 ハン・ガンさんは白いものたちを書こうと思いたち、幼くして死んだ姉に思いをはせ、またナチに破壊されたワルシャワで殺された人々のことを思い、さらに故国で殺された人々のことを思い、このような特段な章構成の、この作品を書いたのではないだろうか。
 また、ハン・ガンさんにとって白いものとは、「作家の言葉」のなかにある「私たちの中の、割れることも汚されることもない、どうあっても損なわれることのない部分」ではないのか、と。

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