夢の間-さくらん-
どんなときでも笑顔を絶やさないというのは、長所だ。
でも、もしも、その笑顔には何もこもっていないんだとしたら、それは、単なる顔の形状であって、癖とか条件反射みたいなものなんだろうと思う。
「笑う鬼だ」
映画「さくらん」で、主人公きよ葉は、本気で惚れた男が自分に向ける笑顔に対してそう呟き、たちまち踵を返す。
肝心なところで、男は彼女を置いて逃げた。
不安になって今こそ信じさせて欲しいとき、本当にその手を求めているとき、男はそれを見ないふりした。
怖気づいたのかもしれない、面倒になったのかもしれない、そもそも最初から本気ではなかったのかもしれない。
傷ついたきよ葉は、吉原を抜け出し、男の真意を確かめに行く。
雨に濡れながら、男が働く店の前まで来たきよ葉。
その姿に目がとまった男。
泣いて詫びるのか、怒声をあげるのか。
無視をするのか、怯えて逃げるのか。
けれども、彼は、笑顔を作る。
いつもと同じ、優しげな笑みを見せる。
「笑う鬼だ」
どんなときでも同じ表情をして、何の感情も見せないとしたら、それこそ、心はどこにあるんだろう。
最後まで心を見せてくれないとしたら、女が愛したものはなんだったのだろう。
きれいな顔をした、ただの人形だろうか。
信じすぎたら馬鹿を見る。
疑いすぎたら地獄見る。
翻って。
中野の区民ホールで、柳家三三の落語に赴く。
初めて聴く演目「たちきり」。
時計がなかった時代も、芸者遊びは時間制。
線香を焚いて、それ1本当たりで課金されたそうな。
柳橋の芸者と恋仲になった若旦那。
会いたいばかりに足繁く茶屋に通うが、それを親戚や番頭からは放蕩と見なされて、罰として蔵に百日入れられる。
若旦那が来なくなって、恋煩う芸者の小糸は、毎日手紙をしたためて、茶屋の若い衆に遣わせる。
その手紙は番頭があずかって、蔵の中の若旦那には届かない。
幾日も幾日も、届き続ける手紙。
百日目、蔵から出た若旦那は、ついに小糸への気持ちを断ち切っていたが、そこで番頭から手紙を渡される。
番頭は言う。
「これが百日続けば、ふたりを一緒にさせようと思っていた。
しかし、80日で途絶えた。
商売女などはそんなものだ」
最後の手紙には、もうこれきりという言葉。
茶屋へと急ぐ若旦那。
小糸と会わせてくれと女将に頼む。
首を振る女将。
あなたが来るのは遅かった。
小糸はあなたを思い煩い、死んでしまった。
線香をあげる若旦那の耳に、どこからともなく聴こえてくる三味線の音。
小糸は、若旦那を信じたい気持ちと忘れたい気持ちの狭間で苦しんでいた。
女将もまた、信じさせたい気持ちと忘れさせたい気持ちの狭間で苦しんでいた。
若旦那は小糸を忘れたわけではなかった。
けれど、すべての歯車が噛みあわなかった。
縁がなかったんですかね、という女将。
ごめんよ小糸。もっと三味線を聴かせておくれ。
けれど、不意に止まる音色。
どうしたんだ、もっと聴かせておくれよ。
女将がそこで頭を下げる。
「線香が、たちきれました」
信じすぎたら馬鹿を見る。
疑いすぎたら地獄見る。
たちきれて、たちきって、人の心のすれ違い。
めぐり合わせの妙あれば、めぐり違いの酷もある。
本当のことなんて、どこまで行っても分からない。
信じすぎるのは滑稽だけれど、疑い始めるのもきりがない。
全部自分が決めること。
線香が消えるまで。
そこにあるうちは本当で、それが消えたら、もう夢のあと。
さくらん(2006年・日)
監督:蜷川実花
出演:土屋アンナ、椎名桔平、成宮寛貴他
■2008/7/10投稿の記事
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