国の経済支援策と教員の休校期間支援策が同じになっていないか?
過激な問いかけです。
こんばんは、今週は楽しくオンライン面談をやっていてハッピーなわやです。だけど、火曜日に階段の一番上から滑落し、それ以降首が痛くて横になるのもままなりません…。
昨日、こんなウェビナー(webセミナー)に参加しました。
著書『学校の「当たり前」をやめた』でも有名な工藤勇一校長と、異才発掘プロジェクトROCKETで不登校傾向の生徒と関わる東京大学の中邑賢龍先生の対談です。
コロナウイルスがぼくらの生活を変えた現在において、子どもたちをたくましく育てるために何ができるのか、二人の視点から意見が語られました。
工藤先生の熱さと中邑先生の枠にはまらないアイデアに聞いていてワクワクさせられました。
何を学んだ、という話ではなくて、とても胸が熱くなったシーンがあったのでそれを共有したいです。
保護者、子どもが抱えてる痛みを共有するためにも、環境づくりに汗かかないとダメ、覚悟があればできる
今のこの状況を課題出して乗り切ろうという人は教育現場でもあまりにも多いですよね、健康観察にも全家庭への電話や、和歌山県の太地町では給食を教員が各家庭に配る、などしているようです。
環境づくりではなく、今までやってたことをアレンジしてやる、という感じです。極力考える労力を排除して(給食を配るのも良いように報道されてましたが違うでしょう)。
これ、どうでしょうか?ぼくは全然ダメだと思うのですが。
はっきり言ってしまえば、ぼくら公立学校の教諭は公務員で、このご時世でも給料は変わりません。来月の生活を憂慮することもありません。だから、変わる労力を割かずとも、凌げばそれでOKなのです。
国が当初言ってた経済政策と何も変わりません。お肉の商品券、お魚の商品券を配る?ガッチガチの縛りで30万円の給付をする?「血の通っていない政策だ」と言われていました。なぜか?それは国会議員の給料も変わらないからです。危機感を持って対策を打ち出せていなかったのです。市民は猛反発でしたよね。
今を凌ごうとして電話や課題で対応する教員は、この国会議員と何が違いますか?
保護者の中には、コロナの影響で来月の生活を心配しないといけない人もいるでしょう。その不安感は子どもにも伝わります。ぼくが担任する高校3年生は受験生です。最後の部活動の大会も、入試も、不利益を被る当事者は全て生徒です。
その痛みを分からずして、電話や課題を出すことにどんな意味があるでしょう。
今こそぼくらは生徒や保護者のサポーターとして、汗を流して支えるべきです。学習の場、つながる場などの環境を作ってやるべきです。太字で書いた言葉は工藤校長の言葉ですが、これをリーダーが言えることの価値はとても大きいと思います。
若手だけやれば良いという話ではありません。事実、工藤校長が今年度赴任した学校では、10日間で教員全員がICTを使えるようになり、職朝もオンラインでやっているのだとか。得意、苦手の差はあれど、今は覚悟をもって全員でやらないといけない。そのような発言にとても胸が熱くなりました。
ぼくの学校ではGW明けからオンライン授業が始まります。やっとリーダーがそちらに舵を切ってくれたようです。ぼくが今やっているオンライン面談も一つのきっかけになっていたとすれば、捨てたものじゃないなと思います。
みんなのできることとできないことを上手く補い合って、前向きな未来を創っていけたらいいなと思います。