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『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』はempathyそのものだった

最近、白っぽい装丁がほとんどの新書の棚に、一際目立つ全身が優しい緑色の新刊がありました。手に取ってみると裏表紙には「恐れず変化の種をまくために」の一文と共に、同じ色合いで何かの木の芽が出ています。なるほど、これは社会にまく変化の種についての本で、新芽をイメージしたライトグリーンなのでしょうか。

『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』- 著者:内田舞さん

タイトルに「正義」?

「ソーシャルジャスティス(社会正義)」という言葉は、あまり日本では聞きなれない言葉かも知れません。むしろ「ジャスティス(正義)」と聞くと、自動的に思い浮かぶことは3つ。

一つ目。サンシャイン池崎氏。

二つ目。正義の味方。アンパンマンとか戦隊モノとか。

そして三つ目。そこはかとない押し付けがましさというか、通り一遍な正論理想論といったような、ちょっとネガティブなイメージ。

いやこの順番での想起はおかしかろう?という異論はとりあえず置いといて。注目すべきは三つ目。定義上最良の存在であるはずの「正義」という言葉から、なぜネガティブなイメージも浮かぶのかをまず考えてみようと思う。

例えば「戦争」というものが、「正義」対「正義」のイデオロギー対立が本態なんじゃないかと思えたり、ひと昔前までのディズニーやハリウッド映画にありがちな勧善懲悪の単純さは実世界にはそぐわないよ、みたいな観念があったり。日本ではそういうネガティブなイメージが付いて回りやすい言葉なのではないでしょうか。

なのでもしかしたら初見の人には、「あ〜はいはいじゃあこの本もきっとアレでしょ?ゴリゴリの理想論語って気持ちよくなるタイプでしょ?」みたいな、穿った見方をされて読まれない、なんてこともあるかも知れない。

でも、まずはぜひ通読してみてほしいと思いました。何を隠そう、私も最初「おぉ、正義ってワードこんなに大々的に入るのか」と少し驚いた側でして。

海外生活が長い著者も、日本社会での「正義」のイメージがどんなものかは理解があるようです。なので読み終えてみると、なぜ敢えて「ソーシャルジャスティス」を前面に打ち出したのか、より熱い想いを受け取れた気がします。日本社会でイメージする、思っていた「正義」とは全然違った。まずはここを知るだけでも、この本を読む価値が大いにあると思いました。

内田さんは、「正義」がネガティブな押し付けがましいようなイメージで捉えられるのは残念なことだと言っています。社会に生きる全ての人は、幸せになりたいと思っている。だからこそ誰もが平等な機会や権利を与えられることが望ましいわけで、それを目標にしたり働きかけたりすること自体が「ソーシャルジャスティス」なんだと。

変化を望んではいけない雰囲気や、変化は望んでもどうせ仕方がないというような諦めの気持ちが先行する雰囲気が蔓延することは、決して良い環境ではないでしょう。

「自分との向き合い方、人との関わり方そのものを考えて行動すること自体がソーシャルジャスティス」なのだそうです。だから、「ジャスティス」という言葉にハードルを上げすぎないでほしい、とも。そっか、私もハードルを上げすぎてたのか。

そういうわけでこの本そのものが全体を通して、諦めの蔓延した社会に生きる人たちへの心からの熱い応援メッセージだったんです。

広く深いコンテンツ、秀逸な構成

目次を見てまず驚くのが、コンパクトな新書には到底収まりきらなそうなぎっしりした内容の数々でした。一つ一つの章が、それ単体だけで本が何冊も書けるような深く難しいテーマばかり。もし私がこんな多様なテーマで本を書くとしたら、風呂敷を広げすぎてとっ散らかり、メッセージ性も何もかも曖昧な本になっていただろうと思います。

SNSや社会における「炎上」について。人種、年齢、国籍、経歴、性別など、さまざまな属性を元にした差別や分断について。子育てや大人の生き方にも活きるメンタルヘルスや再評価について。などなど。。。他にも色々。ボリュームたっぷりで深いでしょう?

でも内田さんがすごいのは、これらの問題提起に留まる、なんて通り一遍なことでは全く無いこと。

どれひとつとっても、個人の力ではどうにもならないと判断して諦めてしまいがちな事象ばかりだし、違和感は感じていてもうまく表現できずジワジワとダメージを受けていても気づけなかった事象も多いのに。
まず社会で一体何がどう起こっているのかを、こんなに分かりやすく整理して説明できるものなのか、と感嘆しました。

さらには、分断され一見対極に思えるような双方でも、ともに社会の一員であることが尊重されていて、誰も見捨てたり切り捨てたりしません。様々な問題が言語化され、内田さん自身の具体的な取り組みも体現されることで、誰もがこれからの自分のためそして社会のために、何かしら気付きを得られるようなヒントが存分に詰められていました。

テーマがこんなにも幅広いのに、全然とっ散らからない。1章1章に新しい気付きがある。正直、ここまでのクオリティーの新書は今まで読んだことがありませんでした。きっと、言葉を扱い思考のメカニズム解明を生業とするプロフェッショナルである内田さん(児童精神科医 / 脳科学研究者)の表現力・分析力もさる事ながら、構成に関わった編集の方も凄いんだろうと感じます。

というのも、以前紹介したこれを読んでから、この本はどういう編集が成されたんだろう、ということも通読後に考えがちでして。それも面白い。

論理の整理で心を守る

どの章にも気付きがあると書きましたが、例えばどんなものがあるかちょっとお示ししようと思います。

冒頭の「炎上」テーマでは、特に論理の言語化がすごいと思いました。炎上するしないに限らず、自分の意見が他人の都合の良いように捻じ曲げられたり、本筋ではないところで攻撃をされたり、などという理不尽な経験はとてもダメージが大きいものです。でも近年、言葉巧みに相手を論破するとか、ぐうの音も出ないように反論を封じ込める、みたいなことが議論の目的のようにされがちです。

普通の人なら、そういった攻撃に遭うと相手の弁舌に巻かれたり、逃避したり諦めたりしがちだと思いますが、論理のねじれや心理操作の言語化・分類が秀逸でした。詳細は本書を見て頂くとして、例としてうち2つを抜粋してみます。

・Whataboutism(そういうあなたはどうなのよ?)(本文P.43より)
"「そっちこそどうなんだ主義」「おまえだって論法」"
"自分の問題点を指摘されたと感じた時に、相手の欠点などを指摘することで、本来の論点である自身の問題点に関する議論を避けること"

・Gaslighting(悪いのは被害者?)(本文P.52より)
"本来心理的な虐待やいやがらせなどの被害を受けている人に「実は自分が悪いのではないか」などと思わせる心理的な操作法"

…うわぁ、こういうのよく見かける〜。なるほど、人を打ち負かそうとする言論というか論法自体もカテゴライズして言語化してみると、俯瞰してちょっと冷静に対応することもできるんだなあ。言語化ってすごい。(そして、私もこういう話し方をしていないか常に気をつけなきゃ…汗)

他人の靴を履いてみよう

本書を通じてビシビシ伝わってくるのは、圧倒的なempathyでした。ブレイディみかこさんの主な著作でもメインテーマとなっている、いわゆる「他人の靴を履いてみる」経験。

分断。理解不能。相容れない。諦め。そんな問題だらけの社会で、どのテーマ・イシューに対しても内田さんは一定のご自身の立場を一貫して表明しています。でも、押し付けではない。自分と異なる立場側の人たちにも、極力伝わりやすく言葉を選んで自分の考えの根拠を示し、相手自身に考えてもらう。

いち女性、いち医師として普通に暮らしてきた一般人であるはずの内田さんが、ひょんなことから様々なニュースや雑誌や動画媒体で注目されることにより、この数年で突如として世界、特に日本への発信力が上がりました。だからこそ、ご自身の考えを示す事は「沈黙」をしないこととして、身を持って実践していることでもあるのでしょう。

同意とアドボカシー、マイクロアグレッション、再評価、沈黙を破る、子どもの(大人も)メンタルヘルス、男女ともに苦しめる労働環境、体の自己決定権、ラジカル・アクセプタンス…
読む人によって、その人の属性や立場や人生経験に応じて、どこかにきっと鮮やかな気付きのある本だと思います。

厚みは普通ですが全ページが濃いので、ぜひゆっくりじっくり考えながら取り組んでみることをオススメします。

なんかベタ褒めになってしまいましたが、そんな本でした!



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