見出し画像

川上さんのエッセイ

またしても、自ら沼に突入してしまいました。ズンズン。
以前noteで複数の方からお薦めして頂いた(ありがとうございます!)川上弘美さんのエッセイを読了したんです。本好きのあの方この方が「この作家さんのエッセイおもしろいよ」とお薦めしてくださった作家さんであるだけでなく、以前読んだことのある川上さんの小説(まだ1冊だけだけど)もとても味わい深かったので、手に入った時はさらに嬉しかったです!

『大好きな本』- 著者:川上弘美さん

この本はゆるりと第一部・第二部に分かれておりまして、第一部は新聞の連載記事、第二部は雑誌の連載記事になっていた書評集をまとめたものでした。作家さんによる、情報量が大渋滞した書評集はこれまでも読んだことがあるし、いくら並んでいたってちょっとやそっとじゃ動じないぞ?と謎に虚勢を張って臨んだものの…。

これまた、一冊の文庫とは思えないような読み応え感でした。はい、完敗!(←何に?)
一つ一つの書評は短めだからサクッと読めそうなのに、どの作品についても川上さん独自の感性による読書体験から生まれる言葉が色々なアプローチから表現されていて。

川上さんの紡ぐ一文一文が、短いながら本のことを真摯に伝えていて、その感じ方、伝え方がやっぱり素人とは全然違う。作家さんが良いと思った本を書評すると、こんなことになるんだよなあ。でもその色合いも、過去に読んだことのある村田沙耶香さんや三浦しをんさんのそれともまた違う。書評そのものがまるで独自の作品みたいに思えてくるのが、ああ、プロだなあと改めて感じ入りました。

そして今回も例に漏れず、こんなにたくさん紹介されているのに私が読んだことがある本、たぶん1冊しかなかった…笑!
一体どんな文章を読んだらこんな感想に辿り着くの?夢の中で続きを読んでしまった作品って、一体どんな感じ?と、やっぱり読みたくなってしまう書評ばかり。

本のプロが本気で好きな本について語る書評集、やはり、恐るべし。

本書巻末には、本業が書評家という豊崎由美さんの解説がありました。私、恥ずかしながら書評専門の職業があるということを知らなかったので、世の中そういうお仕事もあるのか!とまた一つ見識が広がったのですが。ん、そういえば世の中には映画評論家というお仕事もあるじゃないですか。

ということは、あれ!?もしや、この私の何となくnoteに載せている感想たちも、実は仕事にできちゃったりして!?(←ないない)
でも、もしも、もしもよ。うっかりとてつもなく素晴らしい文章を載せてしまったら、出版関係からスカウトされて超有名になっちゃうだろうからサインの練習とかしといた方がいい!?(←ないないないないない)
と、同時に薄ぼんやり妄想してちょっと楽しかったです。どんな感想だ。すみません。たぶん年末の疲れが溜まっております。はは。

その豊崎さんが末尾に引用されていた、詩人の長田弘さんの詩がじんわり良かったので、まるごとシェアしますね。

私も含め、全ての本好きの皆様へ。来年も、素敵な本との出逢いがありますように。少しでも多くの人が、安心して本が読める世界になりますように。

世界は一冊の本       長田弘

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。

ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遥かな国々の遥かな街々も、本だ。

そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。

200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができる・・・・・・・・・ということだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

P.476解説より「世界は一冊の本 長田弘」

作家さんによる書評エッセイについての過去noteはこちら。

川上弘美さんの作品について書いたのはこちら。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集