ほのぼの生きる 188_20230729
はじめの一歩
私が無職になってから、ずっと考えていることがある。
それは「教育」だ。
「教育」は何も子どもだけのものではない。
「生涯教育」という言葉があるように、大人になってからもいろんなことを学びたいと思う。
私が「教育に関係する仕事をしてみたい」と言った時、周囲の人は「大人向けですか?」と聞く。
なんだろ?私から何か学びたいと思っている人がいるってこと?
それは・・・どうかな?
私は誰かに何かを教えるほど、知識も持っていないし、ノウハウだってないし、そういうんじゃないなぁ。
どちらかというと、子どもがいないせいか、子どもの目線が抜けないので、子どもの視点でいろんなことをしてみたいなという気持ちはある。
アインシュタインの言葉らしいのだが・・・
「教育とは学校で習った全ての事を忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」
「そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう」
私が考える「教育」にも似てるなぁ。
今は、まだ何もやっていない。これからどうしていいか分からない。ずーっと考えているが、進んでいない。
前職場の同僚が「うぉんのすけさんに子どもを預かってもらいたい」と言ってきたのは5月頃。
6月は旅行で忙しかったから、7月になったらね、と返事をしていた。
「何のために預かってほしいか。預かった際に何をしてほしいか」を考えてほしい。ニーズに応える形で預かりたい、とお願いしていた。
そのお母さんは
「ご飯を作る間だけでも一緒に遊んでいてほしい」と言った。
「送り迎えができない時にお願いしたい」とも。
わかった。じゃあ、自分に何ができるか分からないが、その同僚が求めていることをまずは叶えてあげようと思った。
お子さんは保育園の年中さん。
男の子だが、人見知りが激しく、祖母にも遠慮してしまうような状況らしい。
最初は二人きりは難しいかもしれないから、慣れてもらうために、一度家に来てください、ということで、昨日お邪魔した。
ゆうたくん(仮名)とはこれまでに何度も会っている。私と会えばちゃんとお話しができる。さて1時間私と二人で過ごせるだろうか。
ゆうたくんは何日も前から私と遊ぶことを楽しみにしていたらしい。
私が家にあがるなり、まずは自慢の車のおもちゃを出してきて、いろいろと説明をしてくれた。その姿はちょっと興奮ぎみ。
一通り説明を終えると次はお気に入りの絵本を出してきて、一緒に読もうとしてくれた。
ひとつのことが続かない。一通り説明し終えると次に行く。
最後にはもうなくなっちゃったのかな?テレビを見始めた(笑)
今朝、夫に「私、やれると思ってたけど、なんか自信がなくなった」と報告。
夫からは「あれしようこれしようって言わなかったの?」と確認されたが、「いや、私は先生でも何でもないから。子どもがしたいことに付き合うだけ」と説明するうちに腑に落ちてきた。
そうなんだ、私は別に子どもに何かを教えたいわけではない。
子どもと一緒に時間を過ごせたらそれでいい。
お母さんの方は、私が子どもと遊んでいる間に、化粧を落としたり、ご飯の支度をしたり、洗濯物をたたんだり、寝転んだり、大事な連絡電話をかけたり、結構いろんなことをしていた。
昨日の1時間は子どものためというよりはお母さんのためだったかもしれない。
それでも元同僚はとっても満足してくれていたように思う。
「子どもと2人だと世界が狭くなっちゃうんですよ。他の大人の人に関わることで違ったことができるといい。」
なるほどね。
ゆうたくんは、私と遊ぶためにいろいろな説明をしてくれていた。
人に説明することは新しい経験だったかもしれない。
いろいろ緊張もしたことだろう。
私自身も初めての経験だったから、楽しんだ。
これが仕事になるかどうかは正直わからない。
それでもまずはお母さんたちのニーズを探ることから始めてみようと思う。
これからどうなっていくかわからないけれど「はじめの一歩」を踏み出した気がした。