これから私は
最近言語を学ぶことについて改めて考える出来事があった。
その友達は「辛い」と本音を打ち明けてくれた。
彼女に知り合って3年目、こんなにも心体共にボロボロな彼女を初めて見た
もともとタイムリーで日常の出来事を話してくれる子ではないのは知っていたけど、毎回後々聞く出来事は結構刺激的で、なんでその時相談してきてくれなかったのだろうと思うことが多い。
彼女は頭がいいから、普段勉強を教えてくれる
沢山私に手を差し伸べてくれる台湾の貴重な存在
そんな彼女の人生は波乱万丈で、でもハートは強くて、他人に頼らず一人で抱え込んでいる。私も薄々気付いていた
困っている人には人に手を差し伸べたい、沢山話を聞いてあげたい。その気持ちはあるのにずっと私の心に残っている出来事が私の足を一旦止める。
「言語が違うから、相談しても聞き取れないと思うから。」
大学に入って一年が過ぎたぐらいの頃、いつも一緒にいた台湾人のクラスメイトにそう陰で言われていたと知った。
悔しくて、情けなくて。
だから、彼女の辛さをわかりたいし、いつでも頼って欲しいと強く感じた。
他言語を学ぶことによって、得られる経験は豊富だ
現地でできた友達は、もし私が台湾に留学に来てなくて中国語を勉強していなかったら、縁もゆかりもない存在になるから。
楽しかった思い出は山ほど沢山ある。
でも今では楽しく会話をするだけの中国語ではなくて、困っている時には私の存在を認識して、国籍関係なく悩みを打ち明けてもらいたい!と感じていて、自分の想いを言語に左右されることなく真っ直ぐに伝えられるぐらいの能力を磨こう、と思っている
’’愛を持って、手を差し伸べたい’’
こんな風に強く考えさせてくれた彼女に感謝したい。そして、愛を持って、手を差し伸べたい。