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ノーベル文学賞には価値がない(※西欧は「豆腐メンタル」4)

『代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表される伊太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安という側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物のように見做した。』

1909年、今から100年以上前、夏目漱石が書いた『それから』の一節である。

読み返すたびに、やっぱりこの人は、愛すべき先輩だった、という気持ちを新たにさせられる。

とどのつまり、本物の文学者とは、こういう態度を持っているかどうか、なのだ。
『坊ちゃん』的に言えば、人間は竹のようにまっすぐでなくっちゃ頼もしくくない、ということだ。

そんな、「竹のような」文学者や小説家が、漱石以降、日本国に何人いただろうか。一人、二人、せいぜい三人くらいか…?

その逆の、「竹のようでない」例ならば、枚挙にいとまがない。

戦前のマルクス主義、白樺人道主義、モダニズム、戦後の実存主義など(それ以降は、なんという名称なのか知りたくもない)――それぞれを代表する作家の顔写真を思い浮かべてみただけでも、ああ、情けなや、「妾」そのもの。

誰の妾かって? ほかならぬ、「豆腐メンタル」な西欧文学の、である。

「豆腐メンタル」ってなにかって? 
冒頭の『それから』の一節で、いみじくも漱石が書いていてくれているが、要するに、「ボクちゃんが一番、苦ちいんでちゅ」といった、「弱音」である。
なよなよした、イジイジした、ベトベトした、ぬるぬるの、ぶよぶよの、ウジウジの、ひねくれた、へたれきった、うっくつした、「負け惜しみ」である。

ここで先に、ハッキリと言っておくが、「弱音」や「負け惜しみ」に箔を付けようと屁理屈をこねるのが、文学でも小説でもない。そんな悪しき伝統を、最初に作り出したのは、西欧のヘタレ文学者たちである。そして、それを有難がって、文明開化とともに、無批判に輸入し、翻訳し、垂れ流し続けて来たのが、日本の「妾」たちである。

例えば、そんな借り物の、飾り物の、真似物の、恥ずべき「不安」に対して、くだんのように一流に皮肉ってみせてくれたのが、愛すべき漱石だったというわけである。

「もののあはれ」が、日本の精神文化を象徴する心であれば、「ルサンチマン」こそ、西欧の精神文化を象徴するそれである。

その「ルサンチマン・キング」とでも呼ぶべき、マルクス主義(共産主義、社会主義も)に、敗戦の実体験とともに身も心もボロボロにされて、愛人と一緒に川に飛び込んだり、――「ルサンチマン・クィーン」であるところのニヒリズムに、やはり敗戦の実体験とともに終生悩まされた挙句のはてに、将来ある若者と一緒にハラキリをして見せたり、――「ルサンチマン・プリンス」たる実存主義にすり寄って、やはり敗戦の実体験とともに日本人としての自信を失い、欧米に媚を売り続けた結果ノーベル賞を額に授けられて、嬉々としてどこぞの国王の前で踊ってみせたり、――というのが、「妾」たちの文学史である。

他山の石になったとしても、温故知新には絶対になりえない、なよなよの精神史でもある。ひとつだけ同情すべきは、「敗戦」という実体験が、どれだけ彼らの精神に傷を負わせたのか、というこの一点であるが、それさえもろともしなかったような、谷崎や井伏のような文学的精神に出会う時に、どうしてこっちの方が主流にならなかったのだろうかと…。がしかし、考えてみれば明々白々たる理由で、海の向こう側から自ら招き入れた「ルサンチマン」たちに、ただただなされるがまま、犯されていたからである。

そんな「ルサンチマン」――別名、へたれ、甘ったれ、しみったれ的劣等意識に対して、ほとんど本能的な拒否と訣別の態度を、文学的にも、人生的にも取り続け、継続しつづけて来た小説家が、丸山健二である。

丸山は、漱石でさえ足元にも及ばない、「竹のような」人である。だから、その文学も、ほぼ圧倒的である。ヘタレ日本文学においてだけでなく、ウジウジ欧米文学と比しても。

これもまた、当たり前も当たり前。負け惜しみばっかり言ってる弱っちい男と、たとえ弱くても顔を上げて闘おうとする男と、人間としてどっちに惚れるかって話だから。

もしも、丸山健二がノーベル文学賞を受賞したならば、ノーベル文学賞には価値がある。でも、十中八九、そうならないでしょう。だから、ノーベル文学賞なんか、まったくもって、価値はないのである。

「ルサンチマン」ついでに言っておくと、敗戦という実体験とともに日本国全体へ、欧米から輸入、もとい、押しつけられたものが、日本国憲法である。

誰かが言っていたことだが、「日本は、物理的な戦争には負けたが、精神的な闘争には勝っていた」と。

そりゃそうです。だって、冒頭の漱石の一節だけとってみても、1909年には、西欧においてルサンチマンはすでにバリバリの現役だったわけで、かたや、当時の日本にはまだ男らしい武士道精神が、ちゃんと残っていたんだから。

ルサンチマンとは、いわば、西欧的な「奴隷制度」からひり出された排泄物。それを、平和に暮らしていたアジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア大陸の人間たちに、「奴隷」の役割を押しつけようとして暴力を振るって来たというのが、西欧史の大概である。こういうものをこそ、人類に対するハンザイと言わず、何をハンザイって言うんだろうか。

それゆえに、日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」っていう言葉があるけれど、こんな、恥ずべき大嘘、唾棄すべき偽善、トイレにでも流すべき戯言って、他に類を見ないシロモノだ。

先のノーベル文学賞を額に押し頂いた「妾文学」の第一人者は、この「平和を愛する諸国民…」というお言葉を、ずいぶんと大切にされていましたが、本気でそう信じているのなら、いくらお年を召されても、世間知らずの文学青年を卒業できないでいられるのでしょう。

漱石だったら、こんな偽善たるや、赤シャツや野だいこばりに、毛嫌いしたんじゃなかろうか。

個人的にも、子どもの頃から移民国家の中で育ったから、ほんとうによく分かる。「平和を愛する諸国民」なんて、世界でもっとも住みやすい都市とされた、自然も豊かで、穏やかな文明都市の、比較的裕福な民衆(移民たち)の中にさえ、見出すことは至難の業だった。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」したいと思うのだったら、まず、誰でも経験できるようなビジネスや、たまの休暇に行く海外旅行だっていい、――欧米でもアジアでも、一度でもいいから、現地に赴いて、共に仕事をしたり、旅先で交流してみたらいい。「平和を愛する諸国民」なんかでは、トーテイありえないし、「公正と信義」なんて、想像したこともないような輩たちだということが、ハッキリ分かるから。

一般市民のレベルでそうなのに、どうして政治家や企業家や学者やらが、「平和を愛する諸国民」たりうるのか。戦争をおっぱじめるのは、いつだって支配層だと、歴史が証明している。

それでもなお、 

そういう現実を、書物の上でではなく、ほかならぬ自分自身の身をもって知った上で、

それでもなお、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」しようという心がけを持つとしたなら、大変立派であると思う。

でも、しかし、決して、どうして、残念ですが、

「西欧的ルサンチマン」文学や、その「妾」文学なんぞが、どんなにか頑張ってみたところで、そういった心がけには、終生、到達もできないし、達成もできないでしょう。

なぜとならば、なんど繰り返してもいいが、16世紀以降の植民地主義の根底にあり続けたものこそ、「西欧的ルサンチマン」なのだから。

西欧的ルサンチマンなどに未来はない。

永遠にさようなら。

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