おせわになりました! ウオー
それでは
人間関係が成立していません!
政治家だろうと民間人だろうと
必ず誰かのお世話になります。
小生のくだらない文章を毎回読まされている
被害者の皆様も・・・
「私は自給自足ですべてをまかなっている」
という方はほぼ皆無
肉・魚というたんぱく質を
大豆などで摂取し
野菜と主食を自分で栽培して・・・
気の遠くなるような手数と
作物の出来不出来で
「食生活が破綻する」
生きるために最低限必要な栄養は
どなたかの手を煩わせ・・・
貴い動植物の生命をいただいて・・・
どうにか成立しています。
人間やペットなどは
どなたかの食物生産を前提としなければ
命を繋ぐことも困難です。
食べ物に限らず・・・
汚染の心配がない井戸水がなければ・・・
「水道水」
自家発電装置を完備した住居でなければ・・・
「電気」
熱源を焚火や落ち葉で賄ていなければ・・・
「ガス」
そのほか自分が着ている衣服
住んでいる住居
移動する手段である
交通機関やクルマ・自転車
現代では生存に欠かせない情報
スマホやPCなどの機械・・・
「自分は誰にも世話にならずに生活している」
比喩表現としてなら・・・
「経済的に」と冠をつけたなら・・・
「自立した生活」は可能ですが・・・
本当の意味で
「自分でなんでもできる」
は成立しません。
この誰のためにもならず・・・
愚痴や妄想・嫌味を綴った文章すら
「noteを運営するプラットホーム」が
存在しなければ・・・
記事にすることもできません。
小生宗教は少し詳しいけれど
自分ではどの宗派にも属さない無宗教者です。
この文章も
啓発・勧誘・宗教的意義などは無縁な
ただの「迷惑文章」です。
最後まで読んでも
「きっとあなたに利益はありません」
おそらく
「時間を無駄にするだけ」です。
小生のような社会的な役立たずでも
生命を紡いでいる日本という国
現役の役立たずでも
自衛隊という機関でまじめに働いた
意味が少しだけあったのでしょう。
海上自衛隊は
「転勤の極めて多い職業です」
本人が望もうと望むまいと・・・
2年から3年で
「どんどん職場がかわります」
職種によって若干の誤差はありますが
「お金やモノ・人間(人事)に関わる職種」
はその異動回数が顕著に多くなります。
ご存じない方のために再度説明すれば
小生は「金・モノ・ひと」に関わる
仕事を自衛隊で33年間勤めました。
そのおかげで(?)
転勤は17回・・・ひとつの職場には
「2年も属していない」計算になります。
嫌味屋で理屈っぽい性格が災いして
厄介払いされた結果が
転勤回数と比例しているのかもしれません。
他人の転勤書類を作っても
自分の転勤に関する理由は知らない建前なので
本当のところは不明です。
「アホがおらんようになった!」
と16回以上誰かを喜ばせていたのなら
転勤は悪い面ばかりではありません。
そういう小生も若年の頃は
「ああ嫌な先輩・同僚と縁が切れた」
という転勤は一度もなかった!
のかといえば・・・
50年後くらいに閻魔様に大きなヤットコで
舌を引き抜かれる危険があるので・・・
黙秘権を行使します。
海上自衛隊は儀式が多い会社です。
毎年・毎月、期日指定で固定化された儀式から
誰かが転勤する・・・
誰かが転入する・・・
人事異動までも
「セレモニー」の対象です。
建前は転出する隊員が曹長~2等海士の場合
「関係分隊※見送りの位置に整列」
という号令がかかり
「帽振れ!」というセレモニーで
お見送りを実施します。
幹部の場合は「総員見送りの位置に整列」
ですが
海曹・海士の転出も特別の事情が無い限り
総員で見送りを実施します。
「おせわになりました!」とは
転出者の紹介を総員が整列した面前の
儀礼台の壇上で、副長(概ね2佐)が
「〇〇3曹は令和4年〇月〇日着任以来・・・」
とこの部隊での略歴と転出先を紹介し
「〇〇3曹の〇〇部隊(転出先)での健闘を祈念して紹介する。」と話して・・・
転出者は総員に向かって挙手の敬礼を実施しますが
その時には
「お世話になりました」と大声で叫ぶのが
慣例です・・・幹部以外は
幹部は自分より下級者に
「お世話になっていない」という建前からか・・・
幹部だけが並ぶ一番右側の集団の前へ
小走りで移動し
幹部だけに
「お世話になりました」
とお礼をいう事になっていました。
セレモニーであり
「自分より上位者にしか世話にならない」
なんてことは・・・
「ありえない」のは当然なのですが
ある時期までは厳格に不文律は
守られておりました・・・が
近年は若年の幹部の一部が総員の面前で
「お世話になりました」
と発する例が多くなっています。
「海自のセレモニーは海軍伝統で不変」
という慣習が崩れているようですが
長年曹士として勤務した小官には
「そういう変化はあってしかるべし」
だと思っています。
「幹部勤務」しか経験のない一部の
高級隊員にはこの変化を快く思わない向きも
いるようですが
「海自は海という変化の多い自然環境で成立する集団」であり「変化すること自体を否定」するのは不可能だど感じます。
真夏に入港する護衛艦をご覧になった
方ならご存じかもしれませんが
「真っ白な制服を着た海上自衛官がもやい綱をさばいたり
重量物を移動する光景」を見て疑問を持たれる方もおられるようです。
「なぜ汚れるのがわかっている現場作業を
白い制服で実施しているのか?」
と見学に来られた民間の方から質問されたことがあります。
海自的な回答は
「特に定めのない限り出入港部署に上甲板で従事する乗組員は乙服装」と決まっているからです。
と答えていました。
当時の乙服装は夏服の場合
半袖の白い制服です。
ちなみに甲服装とは
幹部・海曹は長袖詰襟の白い制服
海士は白いセーラー服です。
観艦式の登舷礼や国家行事の儀礼でしか
航行中の艦艇で詰襟を着用することはありません。
例外があるとすれば
船が港の岸壁に接岸していない状態で
転勤する場合です。
夏に転勤する場合
転出する本人が幹部や海曹なら
長袖の詰襟着用です。
小官は一度だけ接岸していない艦艇から
転勤した経験があります・・・
見送る乗員は船のデッキ一杯に広がって
帽子を振ってくれます。
見送られる隊員は
艦長・副長などが並ぶデッキを挙手の敬礼のまま
「お世話になりました」と発しながら行進し
最後に自衛艦旗へ敬礼して
舷梯という階段をくだり
「内火艇または作業艇」
という小舟で陸上へ向かいます。
「おもてはなせ」という艇指揮の号令で小舟が本艦を離れる瞬間を見逃さず
号令官は「帽振れー!」という号令をかけます。
「ワー!!」とか「ウオー!!」という歓声が!
総員が帽子を振っている艦船を小舟がグルッと
一周して見送られる当事者は帽子を振り続けて
船を去っていきます。
感動的な海のわかれ・・・
さすがにこの時は
「どんな隊員でも涙腺が緩む」と
いいます。
小官も当然涙腺は崩壊しました。
インド洋へ展開している派遣部隊は
日本国内から多くの訪問者・・・
マスコミや政治家、支援団体などが
頻繁に来訪されていました。
小生が乗っていた補給艦にも
政治家数名・宮島茂樹氏・山本浩之アナウンサーほか多数の取材陣が訪問されました。
日本国内へ海自がどんな活動をしているのか
「広報する」のも派遣部隊の役割なので
マスコミの皆様へ
「心をこめて接する」のが
小官も含め広報に関わる自衛官の役割です。
山本浩之さんは
とあるインド洋の港湾で総員が
「挙手の敬礼」で並ぶなか
「本当に皆さんありがとう」と
半べそになりながら舷梯を下って・・
「帽振れ!」の号令で
「ありがとうございます」と
本艦から献上した帽子を振りながら
去っていかれました・・・
「あの時はホンマに感動した!」と
のちの放送で述べておられます。
政治家は・・・威張ってふんぞり返り・・・
なんて方は一人もおらず・・・
民主党も共産党も関係なく・・・
やはり見送りの乗員に
「ありがとうございます」と
いいながら舷梯をくだっていかれました。
たった一人の例外を除いて・・・
石破茂さんだけは
「挙手の礼」に対し
「帽子を被って挙手で答礼」しながら
「おせわになりました」
とまるで自衛官が
「転勤する時のように」
補給艦の舷梯を下っていき
帽子のツバを三本指でつかむ
「きれいに見える帽振れ!」を繰り返しながら
船が見えなくなるまで帽子を振っておられました。
視察中も
他の政治家の方は一通り見学を終わると
士官室などの涼しい待機場所へ
「避難される方が大半でしたが」
石破茂さんと浜田靖一さんだけは
着ているワイシャツが汗で色が変わるほど
蒸し暑い艦橋で
洋上補給作業が終わるまで2時間以上
ずっと双方の船※を子供の運動会を
見学する親御さんのように
見守っておられました。
政治家には人気がなくても
あの時艦橋にいた数名の自衛官には
「大人気」」だとおもいます。
政治的なスタンスや普段の発言など
小生は石破茂さんを激押しする立場では
ありません。が
青いワイシャツが濃い青に変わるまで
じっと作業を見ていた石破茂さんを思いだすと
「こんなタイプの政治家が日本の首相になったら
変化は起きる」
そんな気がしないでもありません。
テレビで石破茂さんを見る度に
挙手の敬礼で
「おせわになりました」を発していた
インド洋上の補給艦を思い出します。
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