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noteを続けるべきか?

鉄道や乗物が好き
そんな単純な理由でnoteを続けている。
それが少しでも読まれたら、
それだけでうれしい。
これを幸運と言わなかったら罰が当たる。 

JRの赤字解消や


ジャパンレールパスの問題には
小生なりに解決策が浮かんでいる

その方法が適切かどうか
いずれ皆様に審判をうけたいと
思っている。

単なる思い付きには
更に適切な方法が
きっと存在する。

鉄道マニアには知恵者が多い。

一番の問題はそのアイデアを
世間へ拡散する方法である。

その方法が適切かどうか?
たくさんの人間がその情報に接し、
考える機会が増えることが
より良い鉄道の未来を可能にさせる。

現代はその発信が可能になっている。
「そんな制度は法律的に適切ではない」

もしそういうアイデアが社会的に
許容される内容なら

「法律を変更すればよい」

飲酒運転の罰則強化の推移をみれば
「庶民が適切だと判断したら政治も官僚も動く」

社会や制度は庶民の発想を具現化するものだ。
政治家や官僚が「わからんちん」なら
「納得するまで諭せば良い」

庶民は決して無力ではない。
ひとりでは出来ないことも、
大勢集まればチカラになる。
その結集場所がnoteだ。

「赤字の鉄道は廃止するしかない。」

その方向性を決めた理由は
「一部国鉄官僚の無能さ」に
あきれた庶民がお灸をすえるために、
一時的に起こした行動に起因する。

「国鉄すべてがダメ」でも、
「赤字がすべて悪」では本来
無かったはずだ。

「忘れっぽい性質」

は日本人の利点であると
同時に欠点だ。

「もう国鉄は存在しない。」
お灸をすえるべき相手が存在しない以上、
振り上げた拳は降ろすべきだ。

道路と同様に、インフラをこれ以上
失ったら日本の存立が危うくなる。

なぜか
「将来自動車の自動運転化が進めば、
必ず鉄道のknow-howと施設が必要になる」

高速道路網は基幹輸送機関として、
貨物輸送に特化する方向性が更に加速する。

個人利用の移動手段は、
極度に自動化されれば在来線鉄道網を
利用した方向へ収斂(しゅうれん)される。

「集客の単位が人からクルマへ変化」

しても
「占有面積に対する輸送効率で鉄道以上に高密度移送が行える輸送手段は発明されていない」からだ。

「鉄道に未来はある」

それを庶民全体で共有し、
官僚や政治家を動かすには
「情報の拡散」手段が重要だ。
だからこそ
「鉄道」×「記事」=note

なのだ。
これ以上説明は不要であろう。

答えは既に出ている。
 
 
 
 
 
 
 
 

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