結局のところ
最近感じたことがある。
「結局のところ」お金があった方が良い。
「結局のところ」顔が整っていた方が良い。
「結局のところ」ノリが良い方が良い。
これだけ見るとめっちゃ偏見持ちのひねくれたやつみたいに見えてしまうが、そこまではひねくれていない。自分はあまり容姿に自信はないし、自己肯定感もわりかし低い方だ。ただ、普段生活している中でちょっとしたことに幸せを感じたりプラスの感情が生活の中に現れるハードルが低い方なので、なんにも波風立たない生活よりは良いのかもしれない。(少しイラッとしたりネガティブな側面が顔を出すこともあるが)
最近感じたさっきの3つの結局…ってやつは大学時代の友人のインスタを見ているときに思ったことである。サークル内でノリが良く、ムードメーカー的存在だった彼はベンチャー企業的なところに就職するため上京した。たまに連絡を取っていてもちろん仲も良いし、人として大好きなのだが、元々整っていた顔やスタイルにさらに磨きがかかって、華やかな生活を謳歌しているように見える。それがなんだか羨ましく。
かたや地元でシフト制の仕事に就き、土日も仕事をしている時が多い私は、その楽しそうな投稿やストーリーをお昼の休憩室で見ては心の中で「良いなあ」とくじを外してスタジオの目の前で試食されるタレントみたいに心の中で呟く。上司たちの雑談をBGMにしながら。
もちろん、彼らにも見えないところで仕事や生活する中で人知れず悩みを抱え、満足ならないことを多々持っているかもしれない。
ただ、どうしても自分が持っていないものや異なるライフスタイルに羨望の眼差しを向けてしまうものだ。同じ上京した大学時代の友人たちと飲みに行ったり、同期?と思われる人たちと小旅行に出掛けているさまはどの絵を切り取ってもキラキラ眩しく見えてしまう。かといって、自らがそんな環境に飛び込んだりする勇気など微塵もない。
たまに画面越しに見る丁寧な暮らしを絵に描いたような部屋もこだわりを持って、ある程度のお金をかけておそらく自分なりに仕上げていっているのだろう。
少しだけ触発されて自室を好きなようにカスタムすることを先日始めた。やり始めると案外楽しいものである。ただ、若干収集癖のある性格上タオルやTシャツが溜まっていってしまう。これはまたなんとかせねばならない。
結局のところ、自らが生活の中で幸せを感じたり充実感を覚えている時ほど、人は隣の芝生が青く見えないのかもしれない。物事がうまく回っている裏付けにもなる。なんか最近良いことないなあと思ったりしてる時に文頭の感情を覚えるのかもしれない。心の中に寂しさを覚えて空いた穴をその小さな偏見で埋めているのだろうか?
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