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人を思いやるために。。

人を思いやるためには、自分の気持ちに余裕がないと中々できない時があります。

自分が、自分自身のことで精一杯な時は、人のことまで考えることができなくなります。

自分の中のキャパシティ(容量)が
自分自身のことだけで溢れかえって手が回らなくなると、相手の気持ちにまで気を回したり推し量ったりすることが難しいなと思います。

人によっては、バランスよく自分のこと、人のこともよく気がつける人もいるように思います。

しかし、私の場合は前者の方です。



キャパシティの大きさだけではなく、その中に占める様々な要素のバランスなのかもしれないです。

わたしは、自分のことでいっぱいいっぱいになると、少し自分の時間が必要になります。

人と一緒にいる時間が長くなると、気疲れや考える事がMAXを超えてしまうような気になります。



わたしは夕方から夜にかけて、内省的になることが多いです。

寝る前とか、一休みしている時に、今日の出来事を思い出して、反省したり
時には思い出し笑いをしたり。

楽しいことばかりは起きないので、嫌なことが多かった日の夜は大変疲れを感じます。




今日も、昨晩から人を思い遣る心を持つ余裕がなく、とても辛い夜でした。

今朝は嫌な思いをいつも以上に引きずっていて、今日の予定をこなす自信はありませんでした。

でも、どうしても外せない用事のため、何とか外出して用事を済ますことができました。

そうすると、最初は気持ちを引きずっていたので、いや~な顔をして出かけたはずが、用事を済ましたら、何だか気分転換というか、いつの間にか自分の機嫌の悪さが嘘のように消えていました。

こういう日もあるんですね。
いやいや出かけたはずが、気分の変化に繋がって、疲れはしたものの、昨日の嫌な思いが薄れていったのです。




昨晩から今朝にかけては、人を思い遣る余裕がとてもない状態だったので、人と関わるときに、悪いことをいってしまったり、関係がギクシャクしてしまうような自分になってしまい、それはそれで自分にはかなり辛かったです。



今、こうして帰宅して一息つくと、昨晩の反省の嵐が一気に押し寄せてきました。

自分は、限りあるキャパシティの中で、どうしてその配分をうまく取れないのか?と思ったりしました。

にっちもさっちもいかないような思いになるのは、真面目に物事に向き合いすぎるせいかなと思いました。
もっとひとつひとつの出来事をかいつまんで、比重を軽くすれば、物事を多少多く抱え込んでも自分よがりになり過ぎず、人のことも引っ括めて考えたりできるのではないか?とも思いました。

昨日の出来事について思い出しても、普段自分の心に余裕があるときなら、昨日よりかは人の考え方に傾聴できたと思うし、あんなに敵対心をむき出さずに接することができただろうな。




でも、残念なことに、
『覆水盆に返らず』ということわざもあり、自分の言ったことに消しゴムを使えないことも世の中ではよくあります。

昨日、対立するようなことを言ってしまった相手の人が、今どう思っているのか分かりません。

謝りたいけれど...。
今後のお付き合いについても、どう過ごしていくとベストなのか?私にも先のことは分からないです。

相手の人も、人が悪いわけではないし、立場や状況によって自分には無理と思うことが起きただけ。

そういう時に、どうしていければ良かったのかな?




まだまだ自問自答はありますが。
やっぱり、悪いことを言い過ぎたのは自分はよくない。

これからは、たまに記事を読み直しては昨日の出来事を思い出して、解決策についていま一度考えてみようと思います。




人を思い遣るために。。
自分が余裕を持てるように、人それぞれの限りある容量の中で、どうやったら沢山の出来事を解決するために、息抜きしたり、たまには考える時間を持ったり、また解き放つ時間を持ったりして、パンクしないでうまく人と時を共有しながら過ごしていけるのか。

そんなことを課題にして、これからも毎日過ごしていければと思います😊。


「わたしも、あなたも、悪くはない。」
という気持ちを前提に、どうしてこうなったのか?たまに振り返りをして、
次の問題を解決していけるようになりたいです。












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