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【本】東方見聞録 感想

『東方見聞録』(とうほうけんぶんろく)は、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容の口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である。マルコもルスティケロもイタリア人であるが、本書は古フランス語で採録された。

突然の変わり種です。
1300年ごろに書かれた旅行記ですよ! すごい話ですよね。
※私が読んだのは青木一生訳版です。

マルコポーロの旅路

1271年にマルコは、父ニコロと叔父マッフェオに同伴する形で旅行へ出発した。ペルシャからパミール高原、ゴビ砂漠を越え、1275年に上都でフビライ・ハンに拝謁。ハンに重用され、元の各地に使節として派遣されるなど見聞を深めることとなる。そして1292年に船で泉州を発ち、セイロン、アラビア海をへて、1295年に3人でヴェネツィアに戻るという、実に四半世紀にわたる大旅行となった。
1295年に始まったピサとジェノヴァ共和国との戦いのうち、1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティケロと同じ牢獄にいた縁で知り合い、この書を口述したという。
当時のヨーロッパの人々からすると、マルコ・ポーロの言っていた内容はにわかに信じ難く、彼は嘘つき呼ばわりされたのであるが、その後多くの言語に翻訳され、手写本として世に広まっていく。後の大航海時代に大きな影響を与え、またアジアに関する貴重な資料として重宝された。探検家のクリストファー・コロンブスも、1483年から1485年頃に出版された1冊を持っており、書き込みは計366箇所にも亘っており、このことからアジアの富に多大な興味があったと考えられている。
祖本となる系統本は早くから散逸し、各地に断片的写本として流布しており、完全な形で残っていない。こうした写本は、現在138種が確認されている。

Wikipediaより

このように、マルコポーロはヨーロッパの人々にアジアという未開拓地域の文化を伝え、広めた大先生であります。

マルコポーロの旅に深く関わっているのがモンゴルの皇帝、フビライハンです。
彼に重用されたことでマルコポーロは旅を続けていたので、作品中でもたびたび偉大なる大汗とかりっぱで賢明な大汗とか称えてます。基本的にはフビライ関係の軍人とかは負けないですし、その武勇を褒めている内容が中心になっております。ただ、たぶん唯一「負けた!」と書いているのが我らが黄金の国ヂパングの神風なんですよねえ……すごいなあ!

マルコポーロ大先生!?

東方見聞録は、基本的には旅して立ち寄った各国の人々と生活に着目して、信仰や交易、食生活、風俗や習慣などを淡々と綴っています。
当時の人々の暮らしは驚くような部分が多く、刺激的で目を惹きます。もちろんマルコポーロ先生の創作や妄想である可能性も全然ありますが、実際に旅をしたからこそ書けるリアリティを感じる内容です。

ですが、途中でちょっと飽きてきたのか
「九三 カタイ人の飲む酒の話」くらいになると、「ここの酒は口当たりが良い。綺麗に澄んでいて、度が強いので酔いが早くまわる。旨い。じゃ、次」みたいな書き方になってきます。マルコポーロ大先生!??

「一〇九 テベット地方の話」では、
「この地方の人は処女の女を妻に迎えない風習があるので、異国人がくると年取った女達が娘を連れてテントにやってくる。いちどに二〇人とか四〇人といった一団でやってきて娘を提供する。娘はこの地を離れるのは許されないので、男達は娘を抱いた証拠として宝石とかを置いていく。もし孕んでしまった場合でも、結婚する夫がその子を養育しなければならない。一六から二四くらいの若者にとって、この国は、まったく天国みたいなものではないか!」とテンション爆上がり。マルコポーロ大先生!!!

このように、著者(話者)のマルコポーロ自身のお茶目さというか、あっけらかんとした部分が見えるのも面白い所ですね。この人、実は軍艦を指揮してジェノアの牢獄に捕まりながらこの話をしてますからね。

一度は読みたい、ヨーロッパ人から見たアジア世界の不思議が詰まった旅行記の鉄板

図書館でふと目がとまって読んだのがきっかけだったのですが、読んでみると大変面白くて止まらなくなりました。
一見、平坦とした文章で書かれているように見えて、「この国は変な風習があって怖かったんだよなあ」というような、見聞と体験談の詰まった奥深さを感じ、興味深い内容です。
旅行記としては勿論、ファンタジックな小説として読むのも価値あり、ネーミングの参考としてもおすすめです。

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