民主主義が一番大事というのは印象操作? 大事なのは「保守系自由主義」を「意志する」こと!
民主主義って、結局決め方の問題で、「誰が決めるか」、「決める権利」を決めているだけです。民主主義というのは、決め方の問題を解決しました。
これは、重要です。
王様が決めるのではなく、専門家が決めるのでもなく、主権者が決める。その主権者とは「民」である。
通常は投票権者の過半数の支持賛成で決める。
重要なことは投票権者の大多数の支持賛成で決める。
代表者を決めて議論してから決める。議論なしに決めることはできない。議会制民主主義を採用する。熟議のために二院制とする。
国会を国権の最高機関とする。
民主主義はとても大事です。この「決める権利」を獲得するまで、多くの血を流してきたのです。
しかし、決め方を決めたところで、大事な問題は解決しませんでした。ワイマール憲法からヒトラーとナチスが生まれました。ヒトラーとナチスは国民の熱狂と支持を得て、冷静に国会活動をなくしました。議事堂を燃やしたのはどうかと思いますが、それでも国民は支持したのです。
日本も、民本主義が提唱され、自由民権運動が行われ、大正時代には豊かな民衆の文化を育みましたが、やがて軍国化、全体主義化して、当時の民主主義は実を結びませんでした。
民主主義は万能ではありません。それどころか、とても脆い制度です。「自由民主主義」もあれば、「社会民主主義」もあり、「民主主義人民共和国」といえば共産主義の国です。
「民主」は決め方を決めるだけで、中身を決めません。
かつてイギリスの首相が、「民主主義は、最悪を避けるための選択であって、最善の選択ではない」と言ったそうですが、まさにその通りではないでしょうか。
だから、「小さな政府」がいいのです。
現在の「大きな政府」は、政府に期待する政治、政治への期待を背景に肥大化する行政、その分、個人に渡るべきお金が税金になりお金が政府や政治家に、そしてその手の者に吸い取られる仕組み。これを避けたいなら、大きな政府という選択はないです。政府に余分なお金があるところからは、邪悪悪徳しか発生しません。
そして、もっと大事なのは民主主義が決めていくその中身。そこに一定の方向性が必要というのが歴史の教訓です。
民主主義なだけでは、中身はなんでもいいことになっているのです。これでは、思想的にバラバラな股裂き政策が勝手に取られることになるのです。特に、55年体制が崩壊してからの世界は、どの考えが自由主義で、どの考えが共産主義で、社会主義なのか、民衆の目には判別しにくくなってしまいました。中には訳も分からず、結果平等を支持し、共産主義に加担し、それでいて共産主義は嫌いだと言っている人がたくさんいるかもしれません。
だから、重要なのは「保守系自由主義」なのです。民主主義「で」決めていく中身が大事なのです。
私たちの多くは、栄達を望んでいません。普通のありふれた生活を当たり前に生きていたいのです。これを守りたいだけなのです。現状の大きな政府は、しなくてもいいことだらけ。政府にすり寄る人の利益のために、私たちの収入を削っています。
私たちの多くは、それを望んでいません。私たちの多くは、十分な適応力を持っています。活力もあり、競争力もあります。努力してきました。その上で、当たり前の生活を守りたいだけなのです。
これを邪魔するのは、個人にお金を回さず、中間的に搾取していく「大きな政府」なのです。だから、自由主義が重要です。
自由主義は、個人の自由を重視します。つまり、お金は個人に回すことが前提になります。国民が合意した必要最低限が税金等の義務的経費になるだけです。大事なことは、「稼ぎは自分のもの」という、この普通の大原則を普通に実行することなのです。これが、今の政府ではなんと難しいこと! 私たちは取られ放題取られているのです。
だから、自由主義が大事なのです。民主主義よりも前に重要かもしれません。
そして、革命的に自由であることを望んでいない証拠に、「保守系」自由主義であるべきなのです。穏やかな現実路線の保守系自由主義こそ、私たちの国が宣言するべき、そして公務員に宣誓させるべき思想ではないでしょうか。
自由と活力、競争力。私は、これがなければ人生の価値も国家の価値も高めることは難しいと考えていて、保守系自由主義を「意志する」ことが大事だと思っています。