ルックバックーなぜ人は創作を続けるのか【映画感想】
本作を「絵描きなら誰もが共感する物語」と本作の監督である押山清高氏は述べる。
実際、この物語の主人公である藤野は「うまく描けなくてつまづく」「より優れた絵描きにあって挫折する」という体験をする。絵を描く人は間違いなく体験することだ。私は絵描きではないが、本気で打ち込んでいた分野で挫折を知り、そこそこ恵まれていたが故に環境を言い訳にもできずに、自分が特別な存在ではないことを自覚した経験はある。
特に原作者の藤野タツキにとっては「同年」である人物に負けるととてつもなく悔しいのだという。年下に負けても尊敬が先に来るし、年上に勝てないのは当たり前。Pixivなどネットが当たり前にある環境で育った藤野タツキはネットでうまい絵師にコミュニケーションをとりながら絵の出来を比べつつ、育った。
本作はそんな”絵描き”として育った藤野タツキがいくつかの消化できない感情を吐き出したものだという。
・絵描きの技巧面での挫折
・当時通っていた東北工科大学で、東北が被災した時の無力感。ボランティアに行ってもほとんど何も力になれなかったのだという。
・絵を頑張るより学業を頑張った方が将来的には安定できるという諦めや絵への評価の低さや選択肢の狭さへの諦め
当然、主人公の藤野もいろいろな挫折や諦めを経験して…それでも喜びを糧に努力を続ける。
本作の見どころはやはり、藤野が「才能との出会い」や「挫折」をそれでも運に助けられながらも乗り越えて「努力」を続けるところではないかと思う。藤野と京本がひたむきに努力を続ける姿にとても胸をうたれた。
それでも描き続ける
だが、そこに間接的に自分のせいで京本が死ぬという、とうとう取り返しがつかない最大級の理不尽な出来事が襲い掛かる。
それでも藤野は書き続ける。「なんで描き続けるの?」と問われて、物語の中で答えは示されない。ただ描かれるのは背中。ただ藤野が描き続ける背中を映して物語は終わる。
この問いを考察するのがその人の個性や批評のセンスが出ると思う。恥ずかしながら私は大した考察は出来ない。
ルックバック(背中を見る)では京本・天才へのあこがれが藤野を動かしているのだと思った。この京本のような「”背景”の天才に漫画を描く人は憧れるものだ」という藤本タツキの告白から想像している。(チェンソーマンのアシスタントであるダンダダンの龍幸伸にとても憧れていたのだそう)
ルックバックには「振り返る」という意味もあるが、過去を観るとずっと藤野は描き続けることで人生を築いてきた。きっとそれ以外の生き方を今さらできないのではないかと思う。
答えは描かれない。このセリフの後、映画でも原作でもひたすら漫画を藤野と京本は描き続ける。きっと人の数だけ回答があるのではないかと思う。
ところで、こうした物語では「絵描きの苦悩」にばかり焦点が当てられがちだと思うが、本作ではしっかり絵描きとして藤野と京本が楽しい人生を送っている姿も書かれている。ここがアニメだととても素晴らしくて、二人が読み切りで獲得した賞金で遊ぶところとか観てて楽しかった。
そういう意味でも58分とは思えぬ密度のつまった良い出来の物語であった。