2002年統合初日の障害はなぜ起きたか 【みずほのシステム統合と障害の歴史を振り返る #2】
前回に引き続き、みずほ銀行のシステム統合の歴史を振り返る。
合併直後にまさかの大障害
2002年4月に障害が起きたわけだが、システム障害というのはいきなり天変地異のように起きるのではなく、事前のシステム開発に不備があって当日に表面化することがほとんどだ。みずほ銀行の場合は2000年11月に、第一勧銀と富士通が勧めてきたみずほ銀行の勘定系および営業系システムの統合作業をご破算にしたという。
前回記述した通り、現場に禍根を残しながらも第一勧銀と富士通のシステムに片寄することを決めた三銀行は、その後富士通のシステムの機能強化を図っていた。このシステム強化は継続するが、OKI製の営業店システムの導入は中止となった。
しかし、2002年4月の統合初日に合わせたシステム統合は期限を変えないという。当然、1年半でこのような大規模システムを統合しなおせるわけがない。そこでみずほ銀行がとった方法が、一年程度のRC(リレーコンピューター)の活用だった。
つまり、実質は延期である。安全上の理由だという。
2000年12月、当初案を見直し、勘定系システム一本化を2003年4月に延期し、それまでの間は旧第一勧銀のシステムを外部と接続するメインンシステムとし、旧富士、旧興業銀の勘定系システムをRCで接続する暫定方式に方針変更した。RCとは聞きなれない言葉だが、要は中継コンピュータであり、システム同士を接続するという話である。
これは考えとしては間違っておらず、安全である。しかし結論としては、さまざまな要因で開発負荷が高まった結果、十分なテストや作りこみができずに障害が起きてしまった。以下に幾つかの理由をまとめる。
・店舗の窓口に設置する端末を中心とした営業店システムの統合案がまとまらなかった。営業店システムは勘定系に次ぐ投資額を必要とするシステムであり、利益源としては上回る可能性もある。富士銀は導入したばかりのOKI製を押し、第一勧銀は富士通製が良いと主張した。さらに興銀の日立も参戦してきた。結論としてはOKI製に決まった。
・予算が膨れ上がった。日経コンピュータが複数の関係者に取材したところ、「当初の予算より1100億円~1500億円ほど予算が増えそうだ」という指摘があったことから財政上の問題はあっただろう。
・興銀と日立が進めているみずほコーポレート銀行で使う勘定系システムの方も統合が総統に難しいことが判明した。業務の性質上、興銀に片寄することはすんなり決まり、機能強化を図ることになったのだが、そのやり方では第一勧銀と富士銀が抱えている量とサービスの種類を吸収できないことが分かってきた。「既存の勘定系システムは古くて機能不足。これを拡張するより新規に開発した方がいいのではないか」と業務部門からの指摘が残っている。
・2001年末に突如、みずほコーポレートが担当する予定だった口座振替データの振り分け処理のうち、1回で5万件を超えるものはみずほ銀行が担当することになった。
・三銀行のシステム統合を統括するマネージャー部門の不在。形の上ではみずほホールディングスのシステム担当役員が総責任者であったが、個々の開発がどうなっているか、ほとんど把握できていなかった。三銀行がそれぞれ担当領域を開発して、それを形の上から進捗確認するだけであった。
・BANCS(都市銀間のATM提携ネットワーク)、全銀システム、自社ATMを結ぶ大概接続システム(RCを利用)を2001年12月に入れ替えた際に障害が起きてしまい、プログラム修正に時間をとられた。
日経コンピューターの取材でこれだけのトラブルが起きているにもかかわらず、計画の修正はしなかったし、CIOは大丈夫だと言い切ってしまった。その結果、みずほは統合のテープカット直後に障害を起こしてしまい、新聞に揶揄されることになってしまった。
余談だが、こうした失敗の歴史を自社のHPに刻んでいる点は不覚にも感心してしまった。