映画『レジェンド&バタフライ(THE LEGEND &BUTTERFLY)』の感想 その3
信長が幸若舞「敦盛」の一節を好んだことは有名ですね。その他に信長が特に好んだ小唄があります。
「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの」
彼の望み通り、441年後の我々は今でも彼を語り遺しているのですね。
それだけ織田信長という武将が魅力的なのでしょう。
この映画はそんな信長とその正室の帰蝶について新たな視点から描かれた傑作戦国ラブロマンスです。
「戦は嫌じゃ」と無理に平和路線にせず、戦国時代に真正面から向き合った一組の夫婦の物語です。
数年後、戦国時代を描いた映画としては記念碑的作品という評価になる!かも?
今回もネタバレしまくりです。ラストについても言及しています。したがいまして、未見の方はこれ以降読まないでくださいませ。
本能寺
かつて岐阜城で離縁をどちらから言うかで揉めていましたが、結局、帰蝶から言い出しました。それは第六天魔王となってしまった信長を元の信長に戻せなかった帰蝶の後悔からだったのでしょう。
帰蝶の夢を叶えるために信長は修羅道を突き進んで第六天魔王となってしまいました。そんな信長の姿を見ていることが帰蝶には苦しくなってきました。
印象的なシーンがあります。
戦が終わった後の死体が点々と横たわっている戦場を馬上で進む信長。その目は戦場を舞い飛ぶ一羽の蝶を捉える。蝶は倒れている兵士に舞い降り、その流れている血を吸う。再び蝶は舞い飛び、やがて、信長の肩へとまる。信長はそのまま馬を進めていく。
このシーンは帰蝶の半生を象徴しているのでしょう。父道三から言われるまま嫁ぎ先の主人を謀殺してきたと語る帰蝶。その手は戦場の蝶のように血で汚れていたのですね。
しかし、今や信長の元で安らぎの時を過ごすことができている。それは信長の肩にとまり羽根を休めている蝶。しかし、自分の代わりに修羅の道を歩んでいる信長。(まさに敵兵の遺体の間を通っているんですよね)そんな信長の姿を見ていることが苦しいと帰蝶は訴える。
侍女の各務野は言う。
「姫は自分の夢よりも大切なものができたのでございます。姫は殿に恋い恋うておられるのです」
帰蝶はしばらく考えて答えた。
「殿はわらわを好いてはおらぬ」
結局、帰蝶は信長の元を去るしかなかったのです。
信長の元を去っていった帰蝶は病に倒れます。
そんな帰蝶の状態を耳にした信長は、帰蝶を再び安土城へ呼び寄せます。
この時、意地をはる帰蝶を見た各務野は帰蝶を抱き、信長から頭を下げるようにさり気なく促した。信長もそれに応じた。「わしのそばにいて欲しい」と。
この場面の帰蝶と各務野と信長の微妙な心のやりとりが良かったです。
信長もようやく気付きます。自分はただ帰蝶の夢を叶えたかっただけであると。
信長はその夢を叶えるべく帰蝶に言う。
「今度の戦が終われば、わしの戦は仕舞いじゃ。帰ってきたら二人で南蛮船に乗って異国へ行こうぞ。だから早く病を直せ」
しかし、第六天魔王の座から降りようとする信長を許せない男が一人。
明智光秀
信長が知らぬ間に育て成長したモンスター。
光秀は本能寺に宿泊している信長を急襲。
夢か現か
傷を負った信長は本能寺の奥へ奥へと逃れる。その手には帰蝶から預かった「三本足の蛙」の香炉。
その「三本足の蛙」を通して目にはいった畳。畳を跳ね上げると抜け穴。
信長は本能寺を抜け、安土城の帰蝶の元へ馬を走らす。
帰蝶を後ろに乗せ、再び馬を走らせた信長は湊に着き南蛮船へと乗り込む。
南蛮船で楽しく過ごす信長と帰蝶。やがて嵐が到来し必死で水を掻い出す二人。疲れ果て眠りつく信長と帰蝶。
目を覚ますと、本能寺の中にいる自分に気付く信長。
手に持っているはずの「三本足の蛙」が消えている。その「三本足の蛙」は本能寺の廊下で明智の兵に踏み蹴散らされていた。
自害して果てる信長。
同時刻。
信長から弾けるようになっておくように申し渡された南蛮楽器に這い寄る帰蝶。
息も絶え絶えで、楽器を抱いた帰蝶はゆっくりと弦を弾く。
かつて信長と聴いた音楽をその指が自在に奏でる。十分に練習をしたかのように自在に動く指…
朝、楽器を抱いたまま息絶えている帰蝶。
信長の夢が帰蝶だったのか。
帰蝶の夢が信長だったのか。
タイトルに込められたもう一つの意味
この映画を最後まで観て、再びタイトルの意味を考え直さなければならなくなりました。
信長の正室濃姫は、信長という英雄の妻でありながら記録がほとんどありません。濃姫という名前も美濃から嫁いできた姫ということを表しているに過ぎません。
『美濃国諸旧記』では帰蝶(きちょう)であったとされ、『武功夜話』では胡蝶(こちょう)であったとされています。
「レジェンド&バタフライ」
→「伝説と蝶」
→「伝説と胡蝶」
→「胡蝶の説話」
→「胡蝶の夢」
「胡蝶の夢」とは、老荘思想を産んだ一人である荘子の思想が表されているとされる有名な説話です。
その内容は「中国戦国時代、思想家である荘周が胡蝶になった夢をみたが、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中で蝶が自分になったのか、自分と蝶との見定めがつかなくなったという故事」です。
このことを「物化(=万物の変化)」という。「物化」とは、本質的には一つである物がさまざまに変化すること。万物は変化を繰り返し、自分もチョウもその変化のうちの一つに過ぎず、本来は区別などないという荘子の思想。
帰蝶の夢が信長だったのか、信長の夢が帰蝶だったのか。
この寓話を表現したのが「レジェンド&バタフライ」という映画そのものだったのかもしれません。
ラストシーン。
本能寺を抜け出し南蛮船に乗った二人が夢だったのか、本能寺で自害する信長は南蛮船で眠りについた二人が見た夢だったのか。
まさに「胡蝶の夢」そのものです。
「胡蝶の夢」と信長が愛した幸若舞「敦盛」の一節「夢幻の如くなり」
これらが、この映画のテーマだったのでしょう。
信長と帰蝶は夢幻の如くなり。
私達が知っていると思っている信長は実際に存在した信長だったのだろうか?
映画を観ていた私は劇中の信長が見ている夢なのかも…
映画を見終わった私はしばし呆然とするしかありませんでした。
完