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【🌈】まずは自分を大切に🤍自分を満たして余ったら他人にも優しく🌿
仕事中って関係ないことをよく思いつく。
フリーランスっていいなーとか思いながら、会社員をしていて。
仕事って相手に喜んでもらってお金をもらうことだよなと思う。
私は誰かを喜ばせることができるんだろうか。
まず今やってるこの会社員の仕事において、私の業務で誰かが喜んでいるんだろうか。
会社員なら、会社からお給料をもらうことになるけど、フリーランスとか個人事業主とかだったら、決まった給料をもらう制度ではないわけで。
如実に、いかに多くの人を喜ばせたか?がシビアに問われるだろう。
そう言う視点は、会社員だとあまり持ちづらいなあ。
人を喜ばせるためには、まずは自分が幸せなことが大事だなとも思ったり。
一番近くにいる自分という存在を喜ばせられないのに、心の読めない他人を喜ばせることなどできるのか?という。
自分が幸せで満たされて、シャンパンタワーのように溢れて、どんどん他の人にも余った分が注がれていくっていう感じだと思うから。
まずは自分が幸せじゃないと、人のことなんて到底考えられないよね。
「誰かのために、自分を犠牲にする・・」みたいな考え方はあまり効率よくない。
自分がキリキリした心でいては他人にもキリキリしてしまって当然。
「欲しければまず与えましょう」とか聞くけれど、
そもそも「与えたくねーよ、与えてらんねーよ」というくらい心が荒んでいたら、まずは人に与えるより自分で自分を満たしてあげることが先だと思う。
「まずは自分が与えましょう」の「まず」の前提に立ててない。
一番身近な自分を満たす作業。それが超ファーストステップ。
与えることなんて考えられないよっていうのなら無理に与えなくていい。
かといって、誰かに与えられるのを待つのも違って「自分で自分に与える」という作業が必要。(ここで誰かに与えてもらうのを待つから病む。とっとと自分で幸せを与える)
人に優しくしすぎて、自分が石鹸みたいに削れていくような感覚への対処法も、自分の状態によって人に優しくする(=与える)量を臨機応変に変えたらいいんだよね。
いかなる時も優しくする、与えることが善ではないんだよ。
優しくできたり与えられる人は、自分をきちんと満たせている人の特権。
だから、優しくて与えることができる人は自分の機嫌が取れる素晴らしい人なわけで、目指すべき善なる姿に間違いはないんだろうけどね。
与える余裕があれば与えればいいし、今自分への幸せの水やりが間に合ってませんというのであればそこは無理に与えなくていい。
与える資格がないんよね。まず。笑
死後自由からは我慢料だとかいうのもよく聞く。
だから、仕事でお金をもらうならしんどくて自分を削ることが当然なんじゃないのって思ったりするけど、実は自分を削ると他人を喜ばせる精度も下がるからあんまよくないよね。
自分が幸せでなんぼなんだなあ。
人を幸せにしてお金をもらおうという人がキリキリ不幸なわけないもん。
そう思うと、よく働くためにもまずは自分を満たしてあげなければね。
なんか「別に自分のためだけじゃないくて、良い仕事のために幸せになるんですよ」と思ったら、なんかより一層やる気が出てくる🤍笑
なんて真面目な私だよ。。笑
自分を幸せにするって、自分を甘やかしているみたいでなぜか後ろめたい気分になるの不思議だけど。
実は一番怠ってはいけないところで、
大事にすべき自分として自信を持って人と接することができる自分、
幸せでたぷんたぷんで、何なら幸せがびじゃびじゃ溢れている自分になって、それで初めて他人に接するのに相応しい、何かを与えられる自分になるんだろう。
「優しくしなさい」という教えは誰にでもできることではなくて高貴な人ができる行為。
自分のこともままならない人が手を出していい行為じゃないんだろうね。笑
今の世の中みんなカリカリしてるのも、自分の中はカラカラなのに社会規範的に与えなきゃという使命感ばかりが先立っているからなのかも。
人のことはいいからまず自分のことを、という感じかな。
まあなんにせよ憧れのフリーランスになるためにも(?笑)まずは自分の心を大事にしよう。笑
優しすぎるみなさんも、自分には人に優しくする資格があるかどうか立ち止まってみたら、意外と優しくしている場合じゃない人もいたりして。