人に「甘え」という言葉を使う人は、自分が一番甘えたいのかもしれない
嫌いな言葉がある。
「甘え」。
甘えるという行為そのものではなく、「◯◯は甘え」というように他者を批判する文脈で使われる「甘え」だ。
◯◯にはたくさんの言葉が入る。
うつ病は甘え。太ってることは甘え。不登校は甘え。仕事をすぐ辞めるのは甘え。シングルマザーは甘え。依存症は甘え。生活保護は甘え…etc。
…列挙していたら嫌になってきたので、やめます。
この場合の「甘え」って、なんだろう?
もっと努力すればその状況から抜け出せるはずなのに、甘んじているという意味だろうか(そもそも本人にとって、抜け出す必要があるのか?)。
もっと自分を律するべき、困難に立ち向かうべき、ということだろうか。
どちらにせよ、言い放った相手に対する愛情や心配が微塵も感じられないので、気分の良いものではない。
たぶん、人の抱える苦しみや葛藤に対して「甘えている」と言う人は、本人が一番なにかに甘えたいのかもしれない。
うつ病患者に甘えと言い放つ人は、うつの症状に対してというより、その結果その人が仕事を休んだり業務負担を軽減されたりと、なにかしらを「免除」されている状況の方に不満を抱いている気がする。つまり、その人も相当疲れているんじゃないかと。
本当は自分だって、嫌な仕事を免除されたいし、一ヶ月くらい休んでどこかに遊びに行きたい。でも、うつ病と診断されていないからできない。だから、うつ病なんて甘えだと言いたくなる。
おそらく、毎日イキイキと充実した日々を送り、自分の好きなことに熱心に打ち込んでいる人は、他者の問題に「甘えている」なんて口を出す暇はないと思う。
自分が納得して、好きでそれをやっているなら、それが出来ていない他者にわざわざ腹を立てるはずはないのだ。だって怒りって、一番疲れる感情だし。
「(自分はストイックに体型管理しているのに)太っているのは甘えだ!(…でも本当はもう少し好きなものを食べたい)」
「(自分は辛いことがあっても学校に行ってるのに)不登校なんて甘えだ!(…でももう、行きたくないよ)」
「(自分は一人暮らしで頑張っているのに)いつまでも実家にいるなんて社会人失格じゃない?(家賃に自炊に、しんどい…。たまには実家に甘えたい)」
「(自分は頑張って貧乏から脱したのに)お金がないなんて甘えだ!(…必死で頑張ってきたのに、誰も認めてくれない)」
本当は甘えたいのに、本当は頼りたいのに、本当はこうしたいのに。
そういう、内に抱えた本当の思いが実現されない時、生じたフラストレーションは、自分の理想通りに過ごしている誰かに向けられる。「そんなの甘えている」「その程度で甘えるな」という、鋭い言葉のナイフとなって。本人も気づいてなさそうなのが、厄介だ。
ただ、そんなナイフはやっぱり諸刃になっていて、誰かを刺そうとしたその人自身も血だらけになっているのを感じるから、やるせない。
私自身、ストイックな人たちから見ればおそらく「甘ったれ!」も良いところな人生で、
中学校は不登校だったし、受験のストレスで激太りするし、1回目の就活は旗色が悪いのを悟り早々に離脱するし、やっと入れた役所を三年足らずで退職するし。そして今、2回目のモラトリアムを迎えているし。いやはや…。
実家暮らしで、それが許される環境だったのもある。同級生たちがちゃんとした「大人」になっていく中、挫折しまくっている自分が後ろめたかったこともある。
でも、今までの人生に起こった全てのことに、後悔はない。すべて引っくるめて、今ここに私がいる。あの時無理して学校に行き続けなかったから、あの時泣きつかれて退職を決意したから、今の私がいる。それって最高。
というか、「甘え」ってそんなにいけないことなのかな。
もちろん、ずっと甘えてばっかりじゃ、色々困る場面も多いけどさ。
自分に厳しい人は基本、人にも厳しい。もっと言うなら、無理して自分を厳しく律している人は、人に厳しくならざるを得なくなる。やりたくないことを無理して頑張っているので、それを頑張らない人を見ると腹が立つ。「甘えるな」と言いたくなり、「◯◯な人は甘え」という人格攻撃にまで発展する。
つまり、
(無理して)自分に厳しい人が、甘えている(ように見える人)を攻撃する。
そんなのって、悲しくないかな。この図式で誰が得をするのだろう。「甘えるなナイフ」で突然刺された人は当然痛いし、刺した方も多分苦しんでいる。地獄?
そんな戦争するぐらいならさ、
自分にも人にも甘い方が幸せな気がする。
私にはダメな部分がある。だからあなたにも不完全な部分があって当然。
そう言えたなら、その時初めて、握りしめたナイフを離せるんじゃないか。
そう思っている、六月の夜。
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