noteに居場所を見つけたらリアルと向き合えたってなんのはなしですか?
「マイトンって由来はなんなの?」
居酒屋でハイボール片手に聞いてきたのは、noteで知り合ったコニシさんだった。
その質問で忘れかけていた思いがふいに湧き上がる。
「それは……」
◇◇◇
そもそもnoteを始めたきっかけは、経済的に余裕が無かったから。
子供2人を抱えてサラリーマンの給料一本足打法は正直キツイ。
妻はやれメルカリだの、やれバイマだのと、最近流行りの物販に手を出すも一向に軌道に乗らない。なんでもいいから堅実に働いて欲しいという気持ちと、妻の気持ちをポッキリしたくない気持ちがせめぎ合って未だに決着が着かない。
そうこうするうちに、妻は私にnoteと𝕏を勧めてきた。
「パパ文章書くのとか得意そうだからやってみたら?」
簡単に言ってくれるやん。𝕏で稼げる仕組みもnoteで売れるノウハウもまーたく分からないけど。でもこのままじゃ生活厳しいのは間違いない。やるしかないか。
そうと決まればアカウント設定だ。
調べてみると、アカウント名は入力しやすくて、あまり人と被らないものがいいらしい。出来れば4文字がいいらしい。
noteで何を書くか考えた時、最初に浮かんだのはお薬の情報発信だった。
製薬メーカーの研究員である以上、人より書けるのはお薬関係だろう。
そして、ここ数年ずっと研究しているのはミトコンドリア病という疾患だった。
ミトコンドリア病は遺伝性の希少疾患で、患者さんごとに症状は様々だ。生後間もなく発症する方も多く、未だ治療薬のない大変な病気である。
私のライフワーク、ミトコンドリア。
英語表記でmitochondria。
最初の3文字を取って、マイト。
収まりよくマイトン。
おーいいやん!これで決まりだ。
マイトン誕生の瞬間だった。
◇◇◇
意気揚々とnoteを始めたものの、最初の2ヶ月は本当に誰にも読んでもらえなかった。
何者でもないマイトンが、ありきたりな薬のことを発信してもどこにも届かない。
ここで一念発起。
自分を認知してもらう為に、色んな人と交流し始めた。
書く内容も面白く読んでもらえるような自虐ネタに切り替えた。
次第に読んでくれる人も増え、冒頭のコニシさんともその頃に知り合った。
書くことは本当に楽しい。
読んでくださり、感想を残してくれる方がいることも本当に嬉しかった。
noteという世界に居場所ができたと感じた。
そんな時、仕事の方では手がけていたプロジェクトが終了した。この数年、毎日命を削るかの如く取り組んでいたプロジェクトだった。
一種の燃え尽き症候群のような状態になった時、支えてくれたのはnoteだった。
段々と、noteの世界にずっと住んでいたい気持ちになっていた。
ここでは皆優しくて、自分のことを全肯定してくれる。
いっそのこと仕事を辞めて書くことに集中しようか。
そんなことまで考えるようになっていた。
実際この数ヶ月、仕事への情熱がなかなか復活せず、かと言って本当に仕事を辞める覚悟も持てずにゆらゆら気持ちが彷徨う状態だった。
そんな矢先に、たまたまコニシさんから今度会おうと言ってもらえたのだ。
ここでようやく冒頭に戻る。
◇◇◇
「マイトンって由来はなんなの?」
聞かれてすぐに、実はミトコンドリアなんですよ、と答えた。
と同時にミトコンドリア病で苦しむ患者さんやそのご家族の為に研究してるんです、という言葉が自然と口から出ていた。
「すごいことやってるね」
言われてハッとする。
何気なく言ってもらった言葉かもしれないが、そうなのだ。これはすごいことなのだ。
治療薬もなく、希望の光を探して毎日一生懸命に生きている患者さんとそのご家族が確かに今も存在するのだ。
そんな方々の為に、自分も何か貢献したい。
その一心でこれまで仕事をしてきたのだ。
この気持ちから逃げて、見ない振りをして、『よくがんばったね、お疲れ様自分』って自分自身に愛想を振りまいて。あほか、おれは。
危うく一番大切なことに蓋をしてしまうところだった。
仕事以外に出来たnoteという居場所。
その居心地の良さゆえに、仕事をあきらめようとしていたこの数ヶ月。
それがnoteで知り合った人に、仕事に対する自分の熱い想いを思い出させてもらえた。
外から見れば、去年と今とで私は何も変わらず、ただ仕事をしているだけに見えるかもしれない。
だが内面は全く違う。
仕事に対する覚悟が決まった。
創薬研究なんて困難しかないし基本的には上手くいかないけど、そう簡単には折れない強さを取り戻すことが出来た。
いつか薬という希望を患者さんとご家族に届け、笑顔に出来るように、今日も私は仕事と向き合う。
サポートいただきありがとうございます😊嬉しくて一生懐きます ฅ•ω•ฅニャー