風俗で働いていたわたしが複雑性PTSDから立ち直り断薬したきっかけは普通の恋愛だった
狂った世界に長らく住んでいた。
25年間飲み続けた抗うつ剤や眠剤や安定剤や発達障害の薬をやめて目が覚めて正気になった今、よくあんな世界で生きてきたね、お疲れ様だったねと思う。
社会に居場所が見つからなかったわたしは長い間風俗業界で生きてきた。トラウマからくる精神疾患と20年以上闘った。複雑性PTSDだとわかったのはここ1年、自分のおかしさにきちんと原因があったとわかってから様々な段階を得て寛解に至った。
精神疾患持ちの自分はダメ人間だと思い込んできたわたしにとっては「明らかに自分が悪くない原因」があったことは大きかった。原因がなければ自分はまともだったかもしれないと考えたとき、自分の人生にもたくさん可能性があったかもしれないんだと思えた。目の前が明るくなるような気がした。状況は変わらないのだからそんなことで前向きになる意味が人にはわからないだろうと思う。わたしの人生はそんな些細なことで肯定できるほどに否定の連続だった。
フラッシュバックにより40年間封印していた叔父からの性的虐待を思い出したときはそれはそれは苦しんだし、死んだ方がマシだと思った。何日も泣き続けた。でも結果から言って思い出してよかった。こんなに穏やかな日が来るなら過去のわたしにはどんなに苦しくても思い出すことを勧める。
思い出したきっかけはよくわかっていない。長年働いた風俗を本気で引退して、好きな人と暮らし始めて一年が経過した頃だった。トラウマを浄化できそうな環境だと潜在意識が判断したのではないかと思う。
彼はわたしが引退前に働いていたお店のお客さんだった。客との恋愛は客の妄想と決めつけてきた自分にはあり得ないことだった。誘われてすぐにお店の外で会った。そのときはそうするのがとても自然だったからそうした、一緒にいると楽しかった。一度恋愛関係になると仕事に行くのがものすごくつらい修行のようになり、耐えられなくてあっという間に完全に引退をした。
風俗で自分を粗末にしながらではないと生きられないと思っていたのに、きっかけができたら足を洗うなんてあっという間のできごとだった。
次にする仕事のあてもなく、何もせず、ただただ彼と平凡な日常を来る日も来る日も過ごした。もともと仕事しかせず、派手に遊んだり高価な買い物をすることに喜びや生き甲斐を感じることがなかったのでその暮らしに抵抗はなかった。それでも金銭感覚は少しずれていたので一般的になるまで一年くらいはかかったかもしれない。苦労はそれくらいだったと思う。
彼は車に乗り出歩く仕事だったので、わたしを助手席に乗せ連れ回してくれた。幼い頃から両親の仕事で助手席に乗せられていたわたしはそれが心地よかった。話したり話さなかったり、車を停めて一緒に昼寝をしたり、コンビニで飲み物を買ったり、パンを買って食べたり、カフェに行ったり。特別なことは何もなく、景色もいつも見る風景で毎日似たような繰り返しなのだけど、それがとても楽しかった。異常なことや異常な人達に囲まれて過ごしたわたしの日常はごく当たり前でゆるかかなものに変化した。今思えばあの時間が最適なリハビリになったのだと思う。
子供の頃、両親の忙しい日常に紛れて自分があったように、彼の忙しい日常に紛れて何となく生きていられた。彼の仕事の話が自然と耳に入ってくるし、車からの景色を見ていられたから退屈しなかった。自分が社会に接しなくても彼の毎日を見ていたから社会と切断されることがなかった。父がバンに乗り配達に歩いているのが子供の頃の父の記憶だったので無意識のうちに自然と重ねて安心していた。彼が会社にこもって一緒の時間がなかったならわたしはここまで立ち直れなかったかもしれない。
彼に出会ってからここまでの道のりは順風満帆なものではなかった。わたしは薬やトラウマやストレスでだいぶおかしくなっていたので泣きながら彼に当たり散らすこともあったし、生きているのが嫌で死のうともした。人を信じられるベースがないから好きになった人を信じることができない時期があった。これ以上よくなる未来なんてないと思っていた、でも違った。
未来がわたしに手を差し伸べたように、トラウマを癒す機会は誰にでもふいにやってくると思う。
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