自分の内面に向き合うこと(ささやかな、自己紹介)
「トラウマ サバイバー」と自分の名前をつけましたが、実は、自分にトラウマの問題があることに、長い間、気づいていませんでした。
去年、つらい出来事があって、カウンセリングを受けていた時に「あなたの問題はトラウマだ」と先生から指摘されて、初めて自分の問題がトラウマであることに気付きました。それまでトラウマとは、災害や事故に遭った人が経験することで、私が経験してきた家族の問題とは違うものだと考えていました。それに気づいてから、トラウマに関する書籍を色々読むようになりました。
そのカウンセラーから、トラウマ治療の専門家がいるので、そこにかかった方が良いと言われましたが、私はその頃、精神的に不安定で、別のカウンセラーに変えることを望まず、そのまま継続しました。そして、その先生のできる範囲でお願いしますと言って、トラウマ治療を少しやってもらったのですが(今思うと、曝露療法に近かったと思います)、結果的に状況がひどく悪化しました。
その後文献を読んで、曝露療法は、過去に有効とされていたこともありましたが、現在ではリスクが高い方法と考えられていることを知りました。
そして昨年から今年にかけて、複数のセラピストから、「ソマティック・エクスペリエンシング」というトラウマ療法を受けました。そこでは、曝露療法のように一気に取り組むのではなく、少しずつ癒していくことが原則でした。(後日詳しく書きます)
15年ほど前にも、カウンセリングを受けていた時期がありました。その時も、家族の問題を扱ったのですが、当時の先生から「相当たまっているね、とにかく吐き出すように」と言われて、延々と家族の問題を話し続けました。これは今思えば「再トラウマ化」といって、「話しているだけでは解決しない。余計に悪化することがある」という、現在のトラウマ治療では常識ともいえることを続けていたのだと思います。ただ、色々な文献を読むと、共感的に話を聞いてもらうことで、回復していく人もいるので、「話しているだけでは解決しない」と一概には言い切れないと思います。
私の場合、その当時のカウンセラーとの相性がよくありませんでした。その先生とは、最初から何か合わない感じがしたのですが、カウンセラーを指導する立場のベテランの先生で、とても良い先生だと紹介されていたので、自分の違和感を伝えることなく継続していました。1年半ほど経過して、どうもその先生とは合わないと感じていたことを正直に話すと、「あれじゃ変わらないよ」「あなたを理解するのは無理である」と言われました。(カウンセラーとの相性は非常に大切なので、これも後日書きます)そんな経験があって、じゃあ、一体どうすれば良いのだろう、とずっと考え続けていました。
その後、短期間、高齢の女性のカウンセラーにお世話になりました。その方は、とても話しやすく、相性の合う感じがあったのですが、スケジュールが合わずに長く続けることができませんでした。その先生から言われた言葉がありました。
「人間が、究極の状態にいくと、自殺か、狂うか、宗教か、その3つのどれかです。」
それを最初に聞いた当時、本当にそうなのだろうか?と思って、あまりピンとこなかったのですが、私は、その3つの他に「芸術」がある、と思いました。昔から、狂気や恍惚と隣り合わせのような芸術の世界が好きだったし、当時、文学が好きで、ある昔の文学者に傾倒していました。芸術を魂の救済のように考えていて、私は4つめの芸術を信じよう、と思いました。その後、数年間、ある出来事を通して、その思いが強くなっていくような経験をしました。
そして昨年、つらい出来事が重なり、その時に、人間が究極の状態にいくと、本当に、その3つのどれかになると感じました。気が狂いそうになり、死ぬことを考え、神にすがるしかないと感じる。宗教というのは、スピリチュアル、大いなる神、宇宙とかも含めて考えます。自助グループでいうところの「ハイヤーパワー」です。
芸術は、人間にとって、大きな慰めにはなるけれど、究極のところでは、自分の本当の苦しみ、本当のつらさへの救済にはならないように感じました。芸術はあくまでも(芸術家当人以外には)他人の言葉であり表現です。芸術家は、人生をかけ、命をかけて表現を模索していくのかもしれない。けれど受け手はあくまでも受け手であり、影響を受けることはあっても、究極には、ひとは、自分がいかに深く自分自身の内面に向き合っていくか、ということでしか救われないと感じます。それは最終的には、どんなに親身になってくれるカウンセラーやセラピストも、偉大な芸術家でさえも入りこむことができない、自分ひとりの世界なのだと思います。
今年のGWにある場所を訪れました。1年前に訪れて、つらい記憶のあった場所で、今年もまたつらい気持ちになるだろうか?と不安に思っていましたが、その場所に着いた時、私は生還した、と感じました。つらい気持ちを沢山味わって、思いつめたこともあったけれど、それでも私は死ななかったし、生き延びたのだ、と感じました。それは、沢山の本を読んだこと、カウンセリングやセラピーを受けたこと、自助グループに参加したこと、様々なサポートがありましたが、最後の最後は自分の力で乗り越えた、生き延びた、と感じました。
これがゴールではないと思っています。今でも日々、つらい記憶がよみがえることはあるし、この先も一生、子供の頃に経験したつらい出来事が消え去ることはないでしょう。でもそれを過去のものとしていくことは可能なのだ、と信じて、これからも歩んでいこうと思っています。
私がこの一年に取り組んできたこと、そして今も学び続けていることを、この場に書いていきたいと思います。いま苦しんでいる、どなたかの心にとまって、生き抜くうえでの力になることを祈りながら。