公募に取り組む理由01
3度目の挑戦が終わって10日ぐらい
改めて、皆さんお疲れさまでした!!
第58回宣伝会議賞
きっともうそろそろ総応募数が発表されるとは思います。多分、過去最高の応募数になるのではないでしょうか?いよいよ本当に厳しい壁になります。
ともあれ、もう出したモノは取り戻しができない。あとは自分の生み出したコピー達に望みを込めて、運命の2/1を待つしかありません。
まっ結果が出るまで、色々と書いていこうかと思います。
なので今回から少し「なぜ、宣伝会議賞に挑戦するのか?」を、徒然と綴っていこうかと思います。
そもそもなぜ出しているのか?
昔から公募とかが好きだった。
だって、出すのはタダ!!出せば当たるかもしれない!!
なのでよく学校で出される「○○啓発ポスター」や「○○文学賞」などによく出していました。宿題や授業の一環であるとはいえ、クラスメイトがやる気がない中、「え?選ばれたらラッキーじゃん。」という考え方で結構やる気を出していました。
防火ポスター優秀賞、詩コンテスト2年連続入賞…
思えば、よく入賞やらをもらったのもこの頃でした。
入賞なり何かに選ばれると、周りからの注目度も増しますし、特に嫌な思いをすることはなく、とにかく褒められる実感がありました。
そして何より、自分が考えたり作ったりしたものが、実際にポスターや文集、世の中のモノの一部となる嬉しさを感じていました。
運動も勉強も普通だったからこそ…
でも現実はそうは甘くなく、学生時代なんて…
カッコいい!運動が出来る!頭がいい!面白い!
結局、注目されるのは男女問わず、上のような人たち。だんだんと私は目立たなくなるのです。
あっ別にいじめとか孤立とかではなく、めっちゃ楽しかったですけどw
でもその普通な感じの生活が、どう自分のPRしていくか?どう表現していけるかどうか?周りを俯瞰する力とか…そんなのが培われた気がします。
その頃から、よく「ここぞ。」という時に出せるような武器として、小説や詩を蓄え始めていました。高校の時なんて、ノート10冊ぐらいに小説を書きまくっていましたし。
存在意義を出す!!
ということはある意味、
私にとっては公募は、「存在意義の主張」に近い気がします。
勿論、「頑張ってますよ。」「頑張りましたよ。」もそうですが、とにかく何かに選ばれたりすることは、目立つということになります。
特に大人になり、普通の生活をしていると埋もれる。
SNS等の進歩により、みんながそれなりに主張し、逆に足並みが揃う。
友達や知り合いともそんなに会わなくなり、近況も分からない。
そんな諸々を考える中で、とにかく宣伝会議賞等の公募をするのは、
私、まだ生きてるし、元気に頑張っているよ!!
という存在意義を届けたい、知らせたい。
そんな想いが一番強いかもしれません。
勉強も運動も仕事も、特に普通な私。
面白いこともできないし、普通で新聞とかに名前が載ることなんて、悪いことをしない限りはないです。だからこそ誰でも出来るけど、あんまりしない、でもタダでできる、出せば可能性がある公募をしている。
まっ、それでも努力はいるし、簡単じゃないものだって、今になって気づくんですけどねw
大きな理由は、それかも知れません。
続く…。