贖罪と受容~赦すこと赦されること(上)
思い出しては泣けてきて、辛すぎてタイプが進まず、書きかけたまま、一年半も放置してしまった内容。※数年前に書いた記事です。
先日「アクト・オブ・キリング」が公開された。
過去にたくさんの戦争映画を見て、「キリング・フィールド」「ルワンダの涙」「エル・サルバドル」などのジェノサイドものも見てきた。もちろん、ホロコーストものも。
検視官モノやマーダーケースブックも大量に読破してきた私だが、この映画だけは本編もさながら予告編でさえも見る気がしない。
※映画「アクト・オブ・キリング」
【解説】1965年にインドネシアで起きた100万人規模の大量虐殺。
その加害者たちが殺人を再現する様を収録した映画。
虐殺を自慢げに語る人々にあるのは心の闇なのか?
それとも……。
"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify"
一人の殺害は犯罪者を生み、
百万の殺害は英雄を生む
数が(殺人を)神聖化する
映画「殺人狂時代」より
※元は英国国教会牧師で奴隷廃止論者ベイルビー・ポーテューズの言葉
人は誰しもが完璧ではなく、誰もが過ちを犯す。
自らも過ちを犯すのだから、誰かの罪を咎めることなど出来ようがない。
とは言え、罪を憎む気持ち、犯罪者や相手に対する嫌悪感や憎悪を止めることは難しい。
まして、民族浄化や大量虐殺の犠牲者、犯罪被害者やその家族に一度でもなったことがあるものならば。
仮にその罪や被害が、本当と嘘が入り混じった、空想めいたお伽話の世界、
過去生というリアリティのない虚構の中のことであったとしても・・・
冒頭にも書いたけれど、
子供の頃から、人の生と死について興味を持っていて、同時に、殺人や犯罪に関しての本をたくさん読み漁ったものだ。コリン・ウィルソンの「殺人百科」やら、その類のもの。
犯罪そのものに興味を持っていたというよりは、人は何故犯罪を犯すのか?
その犯罪者心理、犯罪が起きてしまう背景に関心を持ち、そうした情報を得ることに、貪欲だったと思う。
時代的にも、その当時のテレビ番組は、今のバラエティ化した意味のないゴミ番組とは違い、昭和の犯罪史や事件簿などを取り上げた、実に秀逸なドキュメンタリー番組や特番がたくさん放映されており、ありがたいことに好奇心を十分に満たしてくれた。
また、写真の規制も今ほどでは無いので、現場の写真(遺体など)もモノクロであれば、一部掲載されている雑誌などがあり、目にすることも可能だった。(食べかけの被害者の体とか、切断された遺体とかのグロ写真etc...)
何故、人は人を殺すのか・・・
憎しみや恨みなど、正当な理由無く、快楽や己の利益のために、いとも簡単に人を殺めてしまうのか・・・
他者の権利を奪い、虫けらのように命を奪ってしまうのか・・・
どうして、このシリアルキラーたちは、サイコパスと成り得たのか・・・? そのような異常な人間へと育ってしまったのか・・・このような犯罪を起こさざるを得なかったのか? どうしたらこんな人間が生まれてしまうのか?
そんなことを知りたくて、ひたすらに本を読み漁った。
それで解ったことは、彼らが殺人を犯すには明確な理由は無いということだけだった。
ただ、そうしたいから殺すという単純な理由。そうせざるを得ない要求があって、本能的にそれに従うだけだ。
まるでそれは空腹を満たすように、排泄がしたくなったら、それをするというような、生理的欲求と彼らにとっては何ら変わりがないと。
彼らの中にはそれが「悪いこと」であると、法律に反し、戒律的、道徳的にも良くないことであると、そのようなことを考える頭のないものもあるが、
中には、非常に頭が聡く、その罪を重々承知している、贖いようのない咎であると判っていると言いながらも、自分の楽しみが失われたことの失望を隠さない。
彼らは人の姿はしていても、人の"こころ"を持っていない。
いったい全体どうして、こんなモンスターがいるのか?
この世の中に??
どうして人を殺すことに悦楽と快楽を感じるような人間が、
この世に生まれるのか・・・? 存在するのか・・・?
何故、彼らは後悔したり、反省をしないのか・・・
罪の意識を持たないのか・・・
自らを責め、懺悔の気持ちを示すことをしないのか・・・
被害者に対して、申し訳ないとか、酷いことをしたとか、
そのようなことを一片のかけらも思わないのか・・・
どうして人の痛み、悲しみ、苦しみが理解できないのか。
何故他人の感情を想像することができないのか・・・
それらを知る、"こころ"がないのか・・・
そして、また 何もそのような異常性のある人物でなくても、善人と言われるような人であっても、人は状況次第で簡単に他者を殺めることをする。
敵とみなした人の命を、自分に正義の刃があるとして奪おうとする。
ある日突然に、普通の人であると思った人が、温和な隣人が・・・急に牙を向き、狂気を目に宿らせて、なぜ人を害し、殺すのか。
命を慈しむその一方で、どうして命を奪うのか。
戦争という場においては、殺人は正義になり、かくも人はいつも簡単に、残虐で冷酷かつ非情な生き物へと変わってしまうのか。
人を殺したその手で、どうして命を創ることが出来るのか。どうして平然とした顔で、愛しいものに触れることが出来るのか・・・
どうして人間は、同じ人間を、命を、殺そうなどということを考えるのか、
それを行動に移すのか・・・
一時期ずっとずっと疑問に思って、
そのことばかり考えて過ごしていた時期がある。
もう20年くらい前のこと。
まだ若く、外に出ていくことに積極的だった私は、とある趣味のオフによく参加していたもんで。そこで知り合った、ある女の子に何かの拍子で抱き着かれてしまったんだけども、ものすごく血生臭い感じがすると同時に、その子の過去生と思われるビジョンが頭の中に飛び込んできて、一瞬フリーズしてしまった。
その子はリストカットをしていた子だったから、血の臭いはそのせいだったのかも知れない。
でも、頭の中に飛び込んできたそれは、ナチスの収容所で集められた囚人たちから、色んな持ち物を集めている金髪の女性の姿だった。
それは事務的に淡々と作業をしているいうよりは、嬉々朗々と、すごく楽しそうに・・・数人かで彼らを罵り、嘲り笑いながら、衣類や貴金属を引きはがしたり、あげく髪の毛を毟るかかのように切り取ったりしていて、一言でいうと、ゾッとする光景としか言いようがない。
うわあ・・・と思い、ダメだこの子、イヤだ、と思った。
そういえば、その子は脱毛症でレッグをつけていたのだけど、ビジョンで見た女性は、ケタケタと笑いながら、ユダヤ人の髪をひんむしって。
ちなみに、私のその子に対する最初の印象は最悪で、なんか・・・本能的に近づきたくないというのが働いて、「あの子、嫌い」ってなのがダダ漏れだったと思う。親しい男友達には、「私、あの子ダメだわ」とはっきり言っちゃってたりした。とても大人気なかったんだけれど。
で、その子はとてもその趣味のことが上手くて、オフでは皆にチヤホヤされるアイドルみたいな存在で、人に媚びたり甘えるのが上手な子でもあり、私に対しても、友好的な態度なので、「毛嫌い」してしまう私のほうが狭量なのだろうと思ってもいた。
けれど、その日を境に、なんで自分がこの子が「ダメ」なのか、野性的な本能?で拒絶反応が起きていたのかが、その理由が解ってしまい、さらにダメになってしまった。
でも、そんなこと、誰にも話せることじゃない。
それに、それが本当かどうかも確実じゃない。(当時は前世療法など、仕事にしていなかった) それ以上は親しくならないように、なるべく距離を保つようにしていたけれど、趣味の"仲間"であることには違いない。
彼女の情報は他の仲間と飲みに行くと、どうしても耳に入ってきてしまう。
家庭環境も複雑で、リストカットの常連で、抑うつ剤なんかも飲んでいる、とかとか・・・
私はまだヒーリングの仕事はしていなかったけれど、たまたま、友人で名のあるヒーラー麻璃凛さんから、新しいスキルを学んだんで、無料のモニターさん募集してるのでヨロシクって話をされ、それが彼女の精神の安定にちょっとでも役に立つのなら、お金も無い人なのでちょうどいいんではないかと・・・紹介しちゃったりした。大嫌いな子なのに。
紹介してくれた子が来たよー!・・・と麻璃凛さんから連絡が来て、
「随分とヘヴィーな子、紹介してくれたもんじゃない?(笑)」と、かくかくしかじか話をした。実はその子ちょっと、苦手なんだけどねーって。
したらば、
「でもさー 見捨てられないつーか 放っておけないンでしょ?
なんだかんだ、ホントこーいう子、好きだよねぇ」
と言われて、
「え゛え゛ー 好きちゃうやん、むしろ嫌いよぉ 拒絶反応出てるモン」
なんで~ 私がああいう子好きだなんて、思うのよん! ・・・だったんですが、その意味って後から解った。彼女が言った言葉の意味。
そういや、昔から犯罪者や犯罪心理に興味持ってたんだっけ。
今でもそういうの読み漁ってるし、ネットでも見るし・・・
す、好きって、そういう意味かー! あああ 納得。
だから、縁が出来ちゃうのねん。興味持ってて、関心が強かった分野だから。引き寄せの法則では、嫌いも、好きも同じ意味を持つから。関心を持ち、調べまくって、知りたいと思う行為そのものが、ダイスキーってことだもん。
ああ、そうかー あっちゃ~ って思った。
一度創ったエレメンタルは、消すことができない。それも長い年月で、強固に創られたものならば、なおさら・・・
続く