一人の友であればいい
このような形で、彼女を紹介すること。
個人的に、不本意な気持ちでいっぱいだ。
この不本意さが、昨夜からのモヤモヤの正体だ。
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彼女と出会ったのは、今から、約13年前。
私と彼女が、小学生の時だった。
私は、中学受験のために塾に通っていた。
その塾では、夏の勉強合宿があった。
様々な地域支部の学生・教員が集まって、
自然の中で、約1週間、泊まり込みで勉強するプログラムだった。
その勉強合宿で、泊まるホテルで、彼女と同室になった。
そこが、彼女との出会いだった。
彼女は、私と違って、
はっきりとした顔立ちで、
小学生ながら、あか抜けていて、
すごく明るくて、
真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな子だった。
こんなにも違う性格・人物なのにもかかわらず、
勉強合宿が終わり、別れる頃には、
私が普段話す関西弁と、
彼女が普段話す共通語が、
あべこべになるくらい、意気投合した。
別れる前に、彼女と住所を教え合い、文通する仲になった。
たとえ、携帯やスマートフォンが普及しようとも、
彼女とは、この13年間、ずっと文通をしていた。
最近は、お互いに忙しくなって、
特に、彼女が就職して、社会人になってから、
文通することは、ほとんどなくなってしまったが、
約3年前、実際に、彼女に会って、数時間、話した。
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彼女は、先程も述べたように、
非常に真っ直ぐで、正義感が強く、
積極的に行動する人だったので、
中学生・高校生・大学生でも、
あらゆる活動をずっと取り組んでいた。
私なんかよりも、
非常に強い発信者で、
行動し続けている彼女を、
一人の友人として、誇りに思いながら、
離れた場所からではあるが、
ずっと応援し続けていた。
そんな彼女のこれまでを見てきた。
そのうえで、私は、約3年前に会った時に、
彼女がなりたい/ありたい姿が、
現世界で具現化した姿が予測できてしまった。
それが、本当に具現化されることを、昨夜、知ってしまった。
私からしてみれば、
彼女がその姿になることは、
とても彼女らしく、シンプルで、
酷く真っ直ぐすぎる、
と思わざるを得なかった。
すなわち、
私は、彼女が願う、彼女自身がありたい姿が具現化されることに、
とても驚きながらも、酷く納得しているのだ。
だけど、素直に喜べず、応援することも躊躇う私がいて、
これらが私の中の混沌を生み出している。
なぜ、私が素直に喜べないのか。
それは、
真っ直ぐな彼女が、
真っ直ぐでなくなってしまうのではないか、
と思ったからだ。
もっと言うと、
彼女が彼女でなくなってしまうのではないか、
と恐れている。
この恐れは、杞憂かもしれない。
彼女が彼女らしさを無くしてしまうことは、
彼女の人物像からも、可能性としては低い、
ということも考えられる。
だけど、
あまりにも真っ直ぐ進み過ぎて、私には怖いのだ。
彼女が選択した道を、
彼女が歩こうとしているところに、
私が立ちふさがったり、
彼女の手を引っ張ったりしてはいけなくて、
むしろ、隣で寄り添ってあげた方がいいのだろう。
だけど、なんだか、物理的な距離ではなくて、
心理的にも、遠くに行ってしまったような気がして、
同じ道を横で歩けない気がして、
どうしようもない気持ちなのだ。
このモヤモヤに対する心の持ちようが、
昨夜から、あまり定まらなかったのだが、
思わずなのか、想定通りなのか、
そのモヤモヤを晴らす考えは、過去の私にあった。
どこに行こうとも、
どんな人になろうとも、
これからもずっと、
苦しみや喜びを分かつ、あなたの友でいます。
そして、あなたは、私の親友、かけがえのない存在です。
そうだ。
一人の友であればいいのだ。
彼女の喜びも悲しみも、すべて、
受けとめられる友であればいいのだ。
応援しなければいけない、とか、
止めてあげないといけない、とか、
その気持ちを持つことは、悪いことではないし、
老婆心で言ってあげることもできるけれど、
彼女を一人の人として、
信じてあげることの方が、
受けとめてあげることの方が、
大切な気がした。
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お気づきの方も多いと思うが、
私がかなり明言を避けて、漠然としたことを述べているのは、
勿論、私自身が不本意であることもさることながら、
非常に公開しづらいことだからである。
彼女のためにも、私のためにも、
明言すること、公にすることが、
メリットにならないからだ。
どうか、このことを理解して頂ければと願うばかりです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。