同じ時間を過ごしたい
しゃけとろさんの企画に触発されて、記事を書かせて頂こうと思います。
(しゃけとろさん、ステキな企画をありがとうございます。)
私は、未だに、スキ、キライという概念(感情?)が、なかなか具現化できない。
なぜなら、スキ、キライを決める根拠は、合理的で、本能的だからだ。
○○だから、スキ/キライ。
なんとなく、スキ/キライ。
こればかりは、どうしようもないことだと思う。
なので、無理に具現化させなくてもいいのかなとも思うが、
本能的だから、個々に違うから、他人のスキ/キライに、共感できない時があるのだ。
キライをスキに、スキをキライに、変えることは、
非常に強い理性を以て、本能を抑制しないかぎりは、
恐ろしく難しいことだ。
では、その合理的で本能的なスキは、どこから来るのだろうか。
スキな人、スキな食べ物、スキな音楽、スキな映画、スキな感触...
これらは、
時間を忘れさせてくれて、同じ時間を過ごしたい、
と思わせてくれる。
スキなことをしている時が一瞬なように。
また、同じ時間を過ごしたいから、スキになる。
なんと漠然とした、本能的な理由だろうか。
でも、そんなものなのかなとも思う。
身近に触れられるものでも、そうでないものでも。
現実のものでも、架空のものでも。
以前の記事でも少し書いたが、
ほんの一瞬でもいい、傍で、同じ時間を過ごしたいと思えた。
その想いが、私の琴線に触れた。
同じ時間を過ごしたいと思わせる。
私のスキはその想いから来ている。
最後に、しゃけとろさんの企画に参加されている方の記事をご紹介します。
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