共通テスト(英語)と英検に関する雑感、というか嘆き節
こんなんだったら英検の方が良くない?
日々塾業界の片隅で生徒たちと「共通テスト(英語)」に向き合っていると、深いため息と共にそうつぶやきたくなる時がある。もちろん一塾講師としてなるべく効率的に点が取れるような対策を一生懸命考えるわけだけど、今年度から8題形式になるというリーディング問題群を前にしていかんともしがたい徒労感をおぼえる瞬間があるのも否定しがたい。
2021年1月に共通テストが始まって次で5回目の実施となる。年々、この試験の求める能力が英語力というより情報処理能力に傾いていくばかりで、TOEIC L&Rの悪いところだけを煮詰めたようなものになっていっている、と個人的には感じている(本家TOEICはそれでも「文法」と「精読」を尊重している所もあるし、ビジネス英語の土台を作るという意義は確かにあるのだが)
英語教育系YouTuberのもりてつ先生が先日以下のようなことをX(twitter)に投稿されていた。
こんなんだったらもう英検で良くない?
いや、あの当時(2019年頃)は、英語民間試験導入に反対する経緯はもっともだと私も思ったし、英検は英検で不十分なところがあるのも事実。
それでも、英検なら共テみたいにギャンブル的な一発勝負じゃなく年に複数回受けられるし、4技能を総合的に強化していく方向性は基本的に間違っていない。受験料の経済的な負担は回数制限付き無料(が無理なら格安)クーポン制度にするとかできない?それぐらい国から英語教育へ支援してくれてもバチは当たらないのではと。
今の共通テストの対策や演習をいくらしても、スピーキングとライティングが伸びることはない。伸びるとしても非常に迂遠で非効率的な形だろう。なにしろいま有効とされている共テ対策とは問題のどこに目をつけどういう順で視線を動かすのが良いか練習したりする、一言も話もしなければ書きもしないものなのだから。
個人的に特に残念に思うのは共通テスト・リーディング。旧センター試験時代には含まれていた「文法」と「精読」の要素を捨て去り、ひたすら大量の退屈な文章を短い時間に集中して読み複数の情報をあちこち忙しなく照らし合わせなければならない。この演習をいくらこなしても本当の意味の読解の精度は高まらないし、限られた語彙しか使われていないからボキャブラリーも増えない。なにより一部の説明文を除き無味乾燥な架空設定の文章ばかりで何の見識も広がらない。これに比べたら英検のリーディング問題がいかに良心的で知的な内容を含んでいるか。
こんなんだったら英検の方がずっと良くない?
民間試験導入を見送ったといっても、現実問題、英検を個別利用できる大学は国立・私立ともに年々増えているし、そのことを察している層は中学生・小学生の頃からの英検受験に力を入れている(その是非は置いといて)。現状の方が家庭の経済・環境格差が教育格差を生んでいるとも言え、こんなんだったら高2-3は望めば英検を無料(が無理なら格安で)受験でき、それを入試に明確に利用できるようにでもした方がフェアなのでは?
うがった見方をすると、あえて酷い共通テストをつくることでヘイトを集め、民間試験導入への流れを作り出そうとしてるとか?
とにもかくにも、センター試験時代よりも低品質で、英検のような4技能志向もない、謎の情報処理ゲームと成り果てている共テの現状を考えたら、あのとき民間試験を導入していたらもっとマシな世界線もあったのでは、などと今となっては思ってしまうくらい。
こんなんだったら英検の方が良くない?
それでも塾は割り切って試験対策をすれば良い(というかするしかない)けど、高校英語は4技能5領域をコミュニケーション重視で!でも共テ対策もよろしく!という無理難題に振り回される現場でそのご苦労たるや。。
これはもう英検で良いのでは??