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釈迦の実在の解深密經解深密經

真如の話がでたから

大乗仏教経典の釈迦の真如の話し

お坊さんが、空や無我は実在していないことだと言っているのがたくさんだが

釈迦や経典は、空や無我は実在していると書いてある

何を言っているかも理解できないで、知ったかぶりで語っているお坊さんがたくさん

(。・_・。)ノ

先に出した経典にも、釈迦は実在を言っている

何を言ってるか理解できない

解深密經解深密經

『一切平等の相を持って実在しているのである。』


唯識や空や無や般若に通じる教え

難解でなかなか理解できないが

ようするに、教学だけじゃ真理や真如はわからない、智慧の悟りの修行しなければあの世まで無知だということ

仏教は、苦を滅して輪廻の解脱の涅槃の修行

何にもわからないで無や空になる修行ではなく、

智慧により真理がわかり、苦が無くなる修行

🛐

解深密經解深密經に書かれている真如の話しの私の感想です。
🛐

たくさんの哲学者が真如を話しあいしていても、みな違い、論争までになってしまう
釈迦は、苦行の修行で智慧の悟りを覚醒し、真如がわかるようになった、どんな修行かとかいう話し
教学だけでは、真如がわかるようにはならないかたがたくさん、空や無や唯識や般若にも通じる話しの経典

👳💆

解深密經の部分

法涌菩薩、釈尊に問て曰く

法涌 「私はかつて、多くの外道が一座になって絶対真実の相すがたについて解決を得るために、様々な思索や観察、推求、議論をしているのを見ましたが、ただ異なった意見や、解釈が出るばかりで、ついには論争、打擲に終わってしまいました。

世尊よ、私はこの人たちの観察するところを聞き、この人たちは慢心につまづいて、真如が平等に、一切に、遍満していることを理解し得ないのであると思いました。そして今、世尊から微細甚深を極め、絶対に自由平等なこの真理について聞くことが出来ました。然し、世尊よ、世尊の御教えを受けている者の中にすら、この絶対の真理を究めることが出来ぬ者があるのですから、外道の者などは、到底これを理解することは出来ないと思います」
世尊 「汝のいうとおりである。予はその真理を体得して仏となり、それら現象の分別次第、思惟智慧の顕れなどに於いて、それが少しでも純化清浄に向ったものは、即ち真如の顕れであることを覚知している。しかもその真如は決して異なった相すがたで、それらの中に存るのではない。一切平等の相を持って実在しているのである。しかもまた、それらの存在、作用について一々推求せずとも、無我性、無自性の究極の実在である真如を観得したならば、同時にそれら一切の存在、作用の中に内在する真如を観得することが出来るのである。
 その真如には勿論、原因とすべきものはなく、仏がおるおらぬに拘らず、無始より永劫に亘り、萬有の無我性として萬有の裡に平等に実在しているのである」
 釈尊は更に頌によってこのことを説き示された。

「悟れる者に於いて
この平等一味の真如は異なることなし。
もし中に異なる分別をなす者あらば
そはかならず愚痴、慢心による」




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