苦を滅する仏教と密教
他のSNSで話しているのを少しだします。
話は、いろいろなかたの返答でバラバラですから
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因果の道理とは、仏教における「因縁果(いんねんか)の道理」のことで、万物すべてが因縁によって生じ、因と縁がそろってはじめて結果が生じるという考え方を指します。この考え方は「縁起」とも呼ばれ、善行を行えば善い結果が得られ、悪行を行えば悪い結果が必ずあらわれる「因果の法則」とも表現されます。
また、お釈迦さまは「因果応報(いんがおうほう)」の原則を説き、「すべての出来事は、原因によって生じた結果である」という意味を強調しています。たとえば、桃の種を土に植えれば芽が出て、やがて桃の実がなるように、原因によって結果が生じることを示しています。
因果の道理は、日々の生活における問題解決にも欠かせないものです。困ったことやイヤなこと、辛いことなど、さまざまな問題と出会ったときに、乗り越えようと頑張ったり解決しようと工夫したりしますが、同じような問題がまたやってくることがあります。そうしたときに、問題の原因はなんなのかを考え直すことが必要で、因果の道理を踏まえて、より善く生きようとする心が善い行いとしてあらわれ、それが必ず善い結果に繋がるものと信じ、精進していくことが大切です
生成AI
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二年前に、精神が弱く病んで、ペルーの幻覚剤の原始治療で悟りの状態になったが
それは、ちゃんとした導師の指導とそういう神静な場だから
帰ってきたら元に戻るはなしを、神主さんとしてましたよ。
案の定、すぐに戻りました。
金の欲が凄く、凄い見栄っ張り
自分のスキルを越えた欲をやってきてる
因果応報、因縁果報の道理がわかるかたには、どんな人生かわかります。
私が業の浄化と何度も言ってきたのは、悪い性格を変えなければ
悪い人生になるから
釈迦の時代からの修行だから
みんなを見ていて、どんな人生だったか、どんな人生になるかわかるから
言ってきたんですがね。
まあ、駄目なかたは駄目だとわかりましたよ
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大日経で明らかにされる人の心の秘密「六十心」。弘法大師の珠玉の言葉をこの六十心に対照させ、わかりやすい法話にまとめた。全体を六波羅蜜行によって6章に分け、行と関連づけて理解できるよう配慮。
(ノ-o-)
『大日経』は、空海がその本当の意味を学ぶために唐へ渡ったと伝えられる密教の根本経典。本書は、日本密教界の最長老により、その根本思想を解いた「住心品」の講義録。 原文(漢文)と平易な現代語訳、詳しい解説を対照。密教を本格的に学ぼうとする人は、ぜひ座右に備えておきたい1冊。
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「修円は、『わしの呪詛の効果は十分にあった』と言って喜んで、今朝、修法は終わらせました」
それを聞いて、空海は、ますます精魂をこめて呪詛を行ったため、修円はたちまち死んでしままいました。
セコイ。しかし、考えてみれば、個人的な恨みで、人を一人呪い殺したわけですから、本当なら許されることではありません。
出典の『今昔物語集』には、このあと、「あ~、これで安心だ」と言う人間臭い空海の言い訳が書かれています。
「あいつ(修円)は、人間ではなかった。」
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これが事実なら
二人は同じ年に失くなっているんだよね
空海のが先に失くなってるんだが
修円(しゅえん、宝亀2年(771年) - 承和2年6月13日(835年7月12日))
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。諡号は弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚。
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人を呪わば穴二つ(ひとを のろわば あな ふたつ)
人を害すると、密かにやったつもりであっても、同じ仕打ちにあうことを覚悟すべきであるということ。転じて、安易に他人を害しようとすることの戒め。
・語源・由来
平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来している。
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仏教では、欲や煩悩は悪いことになっていますが
密教になると、欲や煩悩も良いとなる思想になるんですよ。
スマホを使い、ゲーム三昧やエロを見てるだけ
悪い欲ですね。
スマホを使い、勉強や仕事のストレス発散でゲームをやる、よい欲になりますね。
仏教は、苦悩を無くすが目標の宗教
欲や煩悩は苦悩になるから駄目と言う考え
しかし、その欲や煩悩があるから人間は成長していきます。
密教は、欲や煩悩を良い成長にする教え
仏を拝んで、苦を無くすやり方
無の修行で、苦を無くすやり方
観想方法で、苦を無くすやり方
仏教はいろいろな苦を無くすやり方を考えて、いったんですよ。
どれを選ぶかは自由ですから
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難解な教義は、学者僧侶の心の研究のため
大衆は、中道や八正道を実践し、そこから外れない修行だけですよ。
学校教育を受けている今のかたは、わかっていること
それが、欲や執着や煩悩で出来なくなっていると言うこと
僧侶が、いろいろ言っているのは、難しくさせすぎ
社会生活していない、僧侶に教える僧侶用もたくさん
そんなもんですよ。
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仏教は、釈迦の教えの中道を覚え実行していき
その中道から、外れ外道にならないための修行
八正道、慈悲、瞑想、布施、祈り
みんな、入って
みんな、中道です
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11 まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(マコト)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。
13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することか無い。
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。