仏教と心理学や脳科学
若い頃、チベット仏教の本を読んでいたら
経典に
仏教に巡り会った幸せを祈りなさい
修行ができる幸せを祈りなさい
と書いてあると読んで
そうだ、世界中では関係ない一般人も戦争に巻き込まれてたくさんのかたが死んでいる。
日本は、そんなことを気にしないで好きなことできる平和なんだ
それを、自分のことしか考えないで、わたしは不幸だなんて思っているかたがたくさん。
私は、自分よりも不幸なかたがたくさんいて頑張っているんだとずっと思うようになりました。
慈悲なんですが
チベット仏教では、慈悲は誰でも持っているが、大悲は修行しなければできない教えです。
日本仏教は、阿弥陀如来の大悲になっていますがね。
慈悲と大悲の違いがわかりますか?
修行がわかりますか?
みんな、若い頃はわかっただけ
永い年月をかけて実感理解実践できるようになりました。
💁
みんな心理学や脳科学を理解しているかたは皆無。
悩みながら苦労しながら生きています。
性格は、生まれながらの性格が半分、生まれてからの生き方で半分と言われています。
三つ子の魂百までは本当です。
科学のない古代が、よくわかったがたくさんあります。
性格を変えるためには、自我がまだ未発達な小さな頃から永い年月をかけてトレーニングしていかないと駄目駄目だなになりました。
それか、洗脳やマインドコントロール
宗教は、洗脳やマインドコントロール帰依じゃないかと思っています。
いくら説明しても、自分の宗派意外は考えられない、変えられないかたばかりでした。
😖
感情のコントロールと言語に対する脳の敏感性は、生まれた時から既にピークに近い状態である。つまり、生まれた時から(あるいは胎動期から)感情を込めて話しかけ続けることには、大きな意味があると考えられる。
更に感情のみを見ると、1歳時でピークを迎え、2歳半ばにはピークの半分、3歳には底ちかくまで急落する。つまりは、感情面の教育については、生まれてから遅くとも2歳半ばまでが大きな勝負どころである。
乳幼児期にたくさん笑顔で話しかけられ、赤ちゃんが笑ったり泣いたりしていることにいちいち反応してあげること。面倒な「いやいや期」に親をはじめ周囲が感情を受け止めること(これは難関。だからこそ価値が高い)。これらが最も重要であると考えられる。
つまり幼児の「性格」と言われるものが、学校教育で本質的に変わるということは、ほとんどないといえる。4歳までにはその基礎が固まるということである。「三つ子の魂百まで」というが、あれは本当のようである。
しかし小学校であっても、子どもが「変わった」ように思える。なぜかというと、グラフを見てもわかる通り、社会性(peer social skills)は伸び続ける。仲間との関わりの能力が発達するため、そこが主に変わるのである。
例を挙げると、もともと「怒りっぽい」性格とする。その場合、幼児期はこれがダイレクトに感情として外に出る。しかし社会性の発達に従って、周りの目を意識して、我慢ができるようになる。
つまり、幼児期から小学校段階においては、仲間と交流するような学習が成長の肝である。学級づくりの重要性がここでもわかる。
ここで忘れてはならないのは、社会性でその表出をコントロールしているだけで、必ずしも怒っていない訳ではないということ。一方で同じ場面であっても、感情面での怒り自体がそもそも湧きにくいという子どももいる。そこが性格の違いである。「そもそもが穏やか」という子どもと「怒りを外に表出しない」という子どもは、見た目が同じでも内面で起きていることは別物である。
例えば列に並んでいたのに自分の前で終了してしまった時、どういう感情が湧くか。「惜しい~。残念だったな~」としか思わない人がいる。一方で「自分は被害者」という怒りの感情がふつふつと湧く人とが存在する。外から見たら、両方同じように黙っているのだが、その違いである。
さて、グラフの他の項目も見てみる。言語や数に対する脳の敏感性も、緩やかに下り傾向とはいえ、高い水準を維持し続ける。幼稚園段階で、言葉や数の概念を形成しておくことの意義は大きいといえる(だからといってごりごり勉強をさせるというのは違う。あくまで自然にそういうものにふれる環境づくりをすることが大切である)。
脳の発達というのは、教育において抗い難いものがある。例えば脳の一部に問題があるというのを無視して何かを教えようとしても、それは逆効果になり得る。科学的データを無視せずに、教育の在り方を根本から考え直していく必要がありそうである。
AI による概要
トンレンは、チベット仏教の特別な修行で、自分と他者の立場を同等にみなして交換するという観想をすることです。トンレン瞑想は、この修行を題材にした瞑想で、思いやりや慈悲の実践を目的としています。
トンレンの語源はチベット語で、「トン」は「送り出す」「手放す」、「レン」は「受け取る」「受け入れる」という意味です。トンレン瞑想では、次のような観想をします。
自分の幸せを他者に与える(トン)
他者の苦しみを自分が引き受ける(レン)
トンレン瞑想を実践すると、次のような効果が期待できます。
他者への思いやりや共感が高まる
利己主義の力を軽減できる
自分に対する行き過ぎた執着を減らせる
他者の幸せを意味のある重要なことだと考えることができる
トンレン瞑想を行うには、椅子や床に座り楽な姿勢で背筋を軽く伸ばし、軽く目を閉じて深呼吸をします。その後、身近にいる苦しんでいる人や悩んでいる人を思い浮かべ、イメージを用いた瞑想に入ります。