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仏教の五蘊と私の修行

大乗仏教では、こういう五蘊の瞑想はしないので調べて見ました。
諸法無我や諸行無常や深層意識の観察が入っているようですね。

よい瞑想ですが、瞑想のときだけの観察なら、私は難しいです。

私は、社会生活して社会の移り変わりや自分の移り変わり仕事や親や友達や自分や他者の心の中を観察してきて、寝る前に今日の出来事を思いおこして考えることを誰に教わったわけでもなく、無意識にやってきました。

小さなときからですが、レベルが上がったのは、学校を卒業してトヨタの営業四年やり、古武道をいくつもやり形の観察、絵画でモデルさんを描く練習を長くやり、先生に心象を描けと言われ観察してきたり、華道や小笠原流礼法や密教団体や寺の座禅会に入ったりと社会の実施修行してきて仏教や教義が理解できるようになってきたつもりです。



釈迦の八正道は瞑想だけではありません。

仏教は、社会で生活しない、社会の苦や無情をわからせるための僧侶の瞑想や教義がたくさん入っていますよ。

社会で頑張って生きているかたは、わかっているし、僧侶より修行レベルが上なかたがたくさんいますよ。

私は、たくさんの先生や師を観察してきてわかりました。

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五蘊は次の5種である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す。人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとしたものである 。他の心作用(心所)はみな行蘊の中におさめられているのに、受と想だけが別個な一蘊として立てられているのは、受と想が争論のもとを生む主因であることや、輪廻に堕す主因であることによる。

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