興味関心のない都会の本質
2001年四国の田舎で生まれた私は子供ながらに
人間同士の物理的・心身的近さが漠然とストレスに感じていた。
何かあれば回る噂、どこから嗅ぎつけたのか
思いやり(?)で差し伸べられる手。
全てが見張られているかのような、
救い差し伸べられなければ間違っているかのような。
子供ながらに言語化できない何か大きな違和感と圧迫感を常に抱いていて、
ときに言葉にできない悔しさに涙した覚えがある。
そんな私は成長するにつれて当然のように
”互いに無関心”という噂の立つ、
大都会へと憧れを抱いた。
ごく自然な成り行きだった。
私がどこへ進学して何のアルバイトをして、他人には関係なかった。
関係させたくなかった。
「どこで何しているんだろうね」
その程度の存在感でいたかった。
学生時代は、経験が人を成長させると真剣に思っていたし、その経験から学びがないなんていうことは一切ないと信じきっていたこともあり、何だって進んで取り組んだ。
生徒会副会長は計4年務めた。
自治体のリーダー育成会にも参加したし、地域改善協議の学生審査員も務めた。
私のできることで少しでも、大好きでありながらどこか窮屈な地元を誰にだって居心地のいい場所に微力ながら変化させたかった。
その活動から吸収力の良い年齢の脳をフル活用しようとだってした。
ただ現在 2023年冬
手元に何が残っているんだろう。
決別した地元の旧友たち。
繋がりはないはずなのに、今時のSNSはすごい。
彼らのプロポーズ動画まで流れてくる。
今年私は幾度も体調を崩した。
健康優良児であった私が別人にでもなったかのように。
「健康診断に行って全て見てもらってきてくれ」
かけてもらえる言葉はこれだけ。
もう大人だからね、当たり前。
私が憧れてきた”興味関心のない都会”はこんなものだったか。
他人の心身の不調に一切見向きもしない、思考の寄り添いなんてもってのほか。
『一番暖かく見守って包んでくれていた環境を私は思春期特有のもので、毛嫌いしていただけだった』とここまで心を傷つけて認識することができた。
ただ、一つ勘違いしてほしくないこともある。
”興味関心のない都会の本質”は都会らしい田舎にはない温もりとも言える。
それぞれが好きなように自己表現することを偏見の目で見ない、
それぞれのあり方を無関心という名の温もりで包んでいる世界だとも言えるのだ。
人それぞれ向き不向きはあって、
その地や団体に対応することがスキルの高さとは一概に言い難い。
無関心は味方でもある。
あなたには、あなたにあった場所が待ってくれていて、挑戦するタイミングに早いも遅いもない。
ゆっくりと溶け込みやすい世界を切り開いてほしいと心から思う。
私も何か挑戦がしたくてずっと涙しながら無関心な場所で生活をしている。
そんなあなたにも、いつかチャンスがあるはず。
一緒に頑張っていこうね。
2023/11/28 Wio Yamasaki
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