【大内家の野望 新生】 第13話:美濃国制圧戦 〜岐阜城の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第13話:美濃国制圧戦 〜岐阜城の戦い
■織田信長の本拠地を攻め落とせ
中国地方の山口を発祥とする大内家は、大内義隆が近畿攻略のために本拠を山口館(山口県山口市)から岡山城(岡山県岡山市)へと移したが、代替わりして大内義尊が当主になると、今度は中日本攻略のために本拠を岡山城から二条御所(京都府京都市)へと移した。いよいよ京の都から天下に号令をかける。
そうなると、中日本まで兵を進めることができない遠方の西国は、いくつかの城を「軍団」の形で束ねて、その統治の権限を「軍団長」となる武将に移譲することになる。本拠地から遠い地は当主に代わって自治権を持たせて、その金銭収入の中から本拠に上納をさせたほうが効率的なのだ。
引退した先代当主・大内義隆にもその軍団長の一人になってもらおう。軍団は最大で12城ぐらいを束ねられるのだが、大内義隆には上月城(兵庫県佐用町)に入ってもらって、中国地方北部の統治をしてもらおう。
九州や四国などにもそれぞれ軍団長を任命した。養嗣子である兄の大内義長にも広島あたりを統治してもらう。国を発展させて本拠に上納金を納めてくれるし、また余った兵力や兵糧なども前線へと送ってくれる、後方支援的な存在となる。
さて、大内家との戦いで疲弊した織田家の諸城を落とし、尾張国(愛知県)の大半を手中に収めた今川家をこれ以上拡大させないためには、今川家よりも先に美濃国(岐阜県)を攻略しておかなければならない。清洲城(愛知県清須市)を今川家に取られた織田家が新たな本拠地とした岐阜城(岐阜県岐阜市)を攻めに行く。難攻不落の城だが、なんとか攻略したい。
今回も長尾家に北陸を攻めてもらうべくと交渉しようとしたが、断られてしまった。よく見てみると、長尾家の長尾景虎は武田家の武田信玄と、まさに「川中島の戦い」の再現のごとく信濃国(長野県)で激闘を繰り広げており、他国へ援兵する余裕がないのだとか。長尾家がこのまま武田家との戦いで疲弊すると、関東の北条家や東北の伊達家から蹂躙されてパワーバランスがめちゃくちゃになってしまいかねない。ここは一刻も早く長尾家の負担を減らしてあげなければ。
同盟者の長尾家が動けない以上、自力で北陸戦線を切り開くしかない一乗谷城(福井県福井市)を狙う。兵数では圧倒的に大内家が多いが、ここは統率99、武勇87、知略90、政務98という能力合計が全国4位の名将、松平元康(後の徳川家康)が城将だ。かなり苦戦するが、なんとしてでも落としたい。
一乗谷城を攻めながらも、海岸側の朝倉山城(福井県福井市)にも島津義久隊、長宗我部元親隊を差し向ける。一城谷城に兵を回して城兵は128しかいない。慌てた織田軍は一城谷城から一部の兵を朝倉山城に戻す。甘いぜ。
朝倉山城へ兵を送ったことで手薄になった一乗谷城へ、白井賢胤隊、宇喜多直家隊が攻め込んで陥落。これで加賀国(石川県)への攻略の足がかりを手に入れたぞ。さらに朝倉山城も攻めよう。
そして若殿・大内義尊隊は自ら織田家の本拠地・岐阜城へ猛攻。岐阜城は天険の堅城だが、わずか数百の城兵しか残っておらず、力攻めでなんとか落とせそうだ。強攻だー。
大内義尊隊が自ら織田信長隊を撃破して当主同士の戦いを制し、岐阜城は大内軍の手に落ちた。尾張も岐阜も落とされたとあっては、織田信長はもはや織田信長とは言えないほどの凋落ではないだろうか。
最大兵力でのランキングを見ても、山奥や僻地の8城しか持っていない織田家は、東北の4城を持つ蘆名家よりも弱小で、北方の最弱国だった南部家もいつしか伊達家に滅ぼされていることから、織田家は国内最弱の勢力にまで落ちぶれてしまったことになる。もはや威信も失墜である。
敗北が続き次第に急進力を失っている織田家。本城の岐阜城が落ちると、堀秀政や仙石権兵衛など、たくさんの織田家家臣が大内家に降伏した。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の主人公として有名になった井伊直虎も、織田家を見限って大内傘下に。
■朝廷からの勅使がやって来た
岐阜城を追われた織田信長が入城して新たに本拠としたのは、飛騨の山奥の郡上八幡城(岐阜県郡上市)だ。約3000が守るこの城に、すかさず総勢約16000の軍勢を差し向ける。「敵は憎き織田信長!今ここで打ち滅ぼしてくれましょう!」と、国を滅ぼされた朝倉義景が声高に言っている。恨み骨髄に達しているのね。
この郡上八幡城さえ取れば、今川家はこれ以上織田領を侵食できない。ここは大内家が郡上八幡城への攻城権を主張すべく、今川家には出撃してくる前に、援軍として参加してもらう形に交渉しよう。今川軍は快く了解した。
そんなタイミングで、一応親善を重ねて同盟を結んでおいた武田家との同盟契約の期限が切れた。武田家は織田家と同盟を結んでいるので織田領には攻めてくれず、これまでに何の得もなかった。こうなったら敵対関係になった時には戦うしかあるまい。次の敵は武田信玄ということになるだろう。
郡上八幡城に続いて、大野城(福井県大野市)にも攻め込んで、その周辺の郡を攻め落としていったら、いつの間にか武田家とも領地を接する境界線がいくつも生まれてきた。武田家との決戦の時も近いようだ。大内家は武田家の何倍もの兵力があるとは言っても、当主の武田信玄は統率100、武勇89、知略96、政務95で能力合計が全国2位という稀代の天才だ。気合を入れて臨まなければ。
一乗谷城に続いて、朝倉山城をも攻略。これで越前国の平定には大野城を残すのみとなったが、加賀国への北上ルートがしっかりと確保できたことになる。そして朝倉山城を攻め落とした直後、意外な来客が……。
朝廷との取次役になっている父の大内義隆が、「調停より当家へご勅使が使わせられたとの由!」と駆け込んできた。え、勅使だって?
勅使の公家「お上からのお達しでな。貴殿に関白・征夷大将軍・太政大臣のいずれかに任じたいとの御意を賜った」。え、天皇陛下が、そんなことをっ。大内家ももはや天下人になったのだな……。
ここで「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」、どの役職も好きに選べます。これは畿内を平定し、さらに全国206城の半分に当たる103城を制覇したら出てくる、いわゆる「三職推任エンディング」だ。しかし……
大内義尊は「天下静謐はいまだ道半ば。不肖義尊がまことに天下を統一して後、改めてのお話とさせてくだされ」、とこれを辞退。「三職推任エンディング」に進まずに、全国完全統一を目指すことにしたのだ。まだまだ平和な世にしたいのだ。
山口を出て随分と覇を広げてきたが、今のところ103城を制覇。残すは103城。つまりちょうど半分の地点なのだ。まだまだこれからだ。さらに日本を平らげていくぞ。
大野城は猛将・柴田勝家が守っていたが、弘中方明隊がなんとか攻め落とした。これで大内家の持つ城は全国の過半数となった。越前国は完全に平定。さらに北上して加賀国を狙うぞ。
奪った越前大野城を拠点に、今度は加賀国に入って鳥越城(石川県白山市)を狙う。大内義尊の本隊に加え、毛利元就隊・島津義久隊・松永久秀隊らも続く。
弘中隆包が「織田家との戦で厄介になるのは、武田家からの援軍でしょうな。前もって仲違いを図るべきやも……」と、織田家と武田家が一定期間交渉ができなくなる離間計を提案してきた。
「いかなる手段を用いても、父上のお役目、支えてみせます」と、弘中隆包の娘である弘中梅が進み出る。さらに成功率が増すのかな。
織田信長が籠る郡上八幡城へ、大内軍の部隊が次々と突入。雷将こと戸次鑑連が織田信長の部隊を蹴散らした。
そして織田信長の智勇を持ってしても、城兵が少ない堅城を守り切ることができず、郡上八幡城は大内家の手に入った。織田信長は加賀国の鳥越城に移って新たな本拠にしたようだ。
郡上八幡城で降伏した織田家の諸将の中に大浦為信、後の津軽為信がいた。知略91、統率86、政務87という優れた名将だ。この後も大内軍の中核の将として活躍していくことになる。よろしくね。
■織田家を北に追い詰め、武田家とも交戦
織田信長勢を加賀国へと追い出して、これから追い詰めていくという時に、武田軍に攻め込まれたら織田攻めも難航してしまうだろう。武田家と同盟期限が切れた以上、いつ戦ってもおかしくない。まずは長尾景虎に、葛尾城(長野県坂城町)を攻めてもらう。
長尾家が越前国(新潟県)から武田領を脅かしている間に、大内軍は郡上八幡城を落としたばかりの戸次鑑連隊、弘中隆包隊がすぐに帰雲城(岐阜県白川村)を狙う。帰雲城は耐久力が高い堅城だが、城兵はわずかに547。城主の武田栞(たけだ しおり)というのは、武田信玄の娘らしい。
帰雲城、葛尾城と北側を攻撃することで武田軍は諸城から北へ北へと援軍を送る。そんな中で、郡上八幡城から近い桜洞城(岐阜県下呂市)に6万に近い大軍勢を送り込む。ここを落として信濃国への進出の足がかりにするぞ。
そんな頃、在野で人材を探していた家臣が若き武将を一人連れてきた。松平元康じゃないかっ。後の徳川家康である。統率99、政務98、知略99、武勇87という優れもので、能力値の合計でいえば作中第4位の傑物。今川家と織田家との激しい戦いの中で野に埋もれていったのだな……。今の大内家家臣の中では首位の能力値となる。よろしくね。
同盟国の領地は通過できる、ということを思い出した。ということで、今川家の領地を通らせてもらって、南の岩村城(岐阜県恵那市)にも兵を進める。今川家は武田家と甲相駿三国同盟で婚姻関係となっていて、一緒に攻めてはくれないが、通過は許してくれるらしい。岩村城は堅城すぎて簡単には落とせないだろうが、桜洞城攻めの牽制にはなるだろう。
北陸戦線も順調だ。織田家の勢力は加賀一国に閉じ込められた形となっているが、朝倉山城から加賀国へ日本海沿いに入った吉弘鎮理隊が、大聖寺城(石川県加賀市)を攻め落としてくれた。織田信長を能登半島へと追い詰めていく。
攻撃の手は止めず、すかさず金沢御坊(石川県金沢市)へ向けて進軍だ。智将・島左近が守っている城だが、城兵も少ない。このまま勢いを失速させずに能登まで攻め込んでいこう。
一方で、武田領への侵攻は難航していた。桜洞城に6万近くの大軍を投入しているのに、いつまでも落ちない。見ると、武田潮(たけだ うしお)というもう一人の武田信玄の娘が城主として頑張っており、なかなか落ちないから大内軍の大軍は山中の狭い山道で大渋滞を起こしていて、大軍の理が発揮できていない。しかし引き返しても利は少ない。力押しでいくしかないか。
そんな時に、戸次鑑連隊と弘中隆包隊の働きで、ようやく武田方の帰雲城が落とせた。だが山奥のここから武田領に切り込んでいくには、どうしても桜洞城を通らなければならない。桜尾城の攻略がとにかく急務だ。
北陸に追い詰められた織田信長の織田家はあと4城しか残っていない。また大内軍と長尾軍に攻められている武田家も、最大兵力でワースト3位の位置にまで衰退している。長尾家もかなり疲弊してしまっているため、早めに対処しなければならない。武田家を早く攻略して、北条家と雌雄を決しなければ。
(第14話へつづく)
【武将名鑑】(13)弘中方明(ひろなか かたあき)
山口の戦国大名・大内家の家臣。兄である弘中隆包を補佐し、弘中家の所領・周防岩国の水軍を率いた。海上商人・堀立直正の娘と結婚。「厳島の戦い」で弘中隆包が討死した後、三蔵主の名で出家したが、毛利家に招聘され弘中就慰(なりやす)を名乗る。子孫は長州藩士となる。
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