やべーやつに権力を握らせないために民主主義はあるのです
「やべーやつに権力を握らせないために民主主義はあるのです」
少し前に読んだ本に、そんな感じのことが書いてあった。
日本の衆議院選挙にアメリカの大統領選挙と何かと最近選挙の話題が多いが、こと日本の選挙では毎回投票率の低さを嘆くような話をよく耳にするような気がする。
「あなたの1票で未来が変わる」とか、そんな大げさなことを言われたら、誰に投票するのか考えるのも面倒になって、投票に行きたくなくなる。
個人的には、そんな真面目に考えちゃう日本人気質みないなものが、投票率の低さに繫がっているんじゃないかな、なんてことを何となく思ったりもする。
昔ならきっと、自分の属する何かしらのコミュニティの意志で誰に投票するかなんて、それほど悩まなくても決まったものなのだろう。
しかし、コミュニティが解体され、多様性と情報の溢れたこの時代、誰に投票すべきかなんて、どれだけ悩んでも明確な答えの出るような話ではない。
少年漫画のように、この世界に分かりやすい正義と悪なんてものが存在していれば、悩まなくても良いのだろうけど、幸か不幸か、ちゃんとした民主主義が敷かれ、未成熟なのかもしれないがそれなりの多様性が保たれたこの国において、そんなわかりやすい正義と悪なんてものはそうそうお目にかかれないことだろう。
しかし、それでも人間は白黒つけたがるようだ。
日本の選挙での投票率のように、アメリカの選挙で話題になるのが分断だ。
ファジーで不安定なものでも受入られるのが人間の強みのはずなのに、なぜかマシンのように白黒はっきりさせたがる気持ちを持っているのもまた人間だ。
この白黒つけたがる人間の対決思考を煽って分断に導く情報の発信者こそ、もしかするとそうそうお目にかかれないと思っていた悪のその姿なのかもしれない。
だとすれば、そんな悪の対極が正義になるのだろうか。
そう考えると、実は投票率の低い状態というのは、この時代における正義の姿なのかもしれない、なんて風にも思えてくる。
目と耳を塞ぎ、静観を貫く。それが現代の正義の姿なのだろうか。
うーん、行動無きものは、ただ滅ぶだけのようにも思える。ただ滅びを待つだけのヒーロー、なんか違うな。
ということで、あまり熱くなり過ぎず、なんとなくのフィーリングでのらりくらりと、とりあえず投票する、みたいな姿がいちばん良いのかもしれない。
のらりくらりとしながらも、実は影でやべーやつの台頭を防ぐ抑止力となっている。シティーハンター冴羽獠的な正義だ。
さて、自分の住む兵庫県では、いろいろと話題に欠かない県知事選挙がもうすぐだ。
話題に欠かない理由は、真偽不明の情報が対決姿勢を煽るような形で大量に投下されているからだったりする訳だが、果たしてどの候補者が知事に相応しい人間なのだろうか。
うーむ、競馬もロクに当てられない自分にはさっぱりわからない。
まぁ、悩むくらいなら今回の候補者の中に本当にやべーやつはいないってことだろうし、当日の気分のゆらぎに従って投票するかな。
本当にやべーやつが権力を握ることが無いよう、この国の民主主義を守るために。