「雉も鳴かずば撃たれまい」
最近、どうにも気になった言葉がある。それがタイトルにした「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉。
雉(きじ)という鳥がいることは知っている。物心ついた時に「きじ」という言葉を知って、覚えたのは「ももたろう」だったかな。
実物で見たのは、もっと後になってからだと思う。ハトやスズメ、カラスに比べたら、あまり目にする機会はなかった。
でもですね。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を聞いた(正確には多分、読んだ)時、なぜか妙に気になったんです。いや、なぜなんだろうか。
こうやって、時々、呟くこともある。意味や解説もなく呟くことがある。こういう時って、何か心に引っかかった時だ。
普段、この言葉を使うことはない。普段の会話で「いや〜。雉も鳴かずば撃たれまい、だよね〜。」なんて使うことはないし、誰かがそのようなことを発したのを聞いたこともない。
ことわざ(でいいのかな?)を、普段の会話で使うことは少ないです。
皆さんにとっては、普通に「知っている」言葉かも知れませんが、生憎、わたしは今まで知らなかった「雉も鳴かずば撃たれまい」。
気になる、気になり始めた言葉。こうなった以上は調べるしかありません。
意味:
雉が鳴いてしまったばっかりに、猟師に撃たれてしまった。転じて余計なことを言うと、災難に見舞われる。
似た言葉で「口は災いの元」とのことです。
なるほど「口は災いの元」と言うのは、良く使われる気がします。実際、わたしもこちらの方が馴染みがある気がします。
意味を知ると、なんだ、だいたい同じような意味なのか、なんですが、なぜこのような「言葉」が生まれたのか?由来まで知りたくなりますよね。
さらにもう一歩踏み込んで、「由来」についても調べてみました。そこには少し、悲しい出来事があったようです。わたしがここで詳細を書くわけにはいかないので、参照元リンクを貼り付けておきます。
なるほどそうか、この言葉を最初に目にした時、どうして「心に引っかかるのか」と思ったのですが、直感は少し当たった気がします。
世の中、難しいところがあります。余計なことを言ってしまったばっかりに、不利益を被ったり、人との関係が悪くなってしまったり。わたし達、人間も、雉のことを笑えない。そう言うこともある。
だけど、言葉にして発しないと、何も伝わらないことも事実。思っているだけでは、誰にも理解されない。言葉と行動、両輪が回ることで、周りが「あぁ、この人はそう言う考えなのね」と言うことがわかる。
言葉という片翼を失っては、空を飛べないです。
ちょっと意味がわからなくなってきたnotoになりますけど、結局、「撃たれたくない」ならば、発しなければいいわけですが、そうもいかない。
雉もわたしたちも、実は同じ世界に生きているんだなぁ、それでも、お互い生きていかなきゃならないんだなぁ、仕方ないなと改めて感じました。
まぁ、どうでもいいことなのかも知れないけれど。
これからも、自分なりに鳴いて、生きていくしかないなと。
それでは、また。